明治初期、実際に町田は神奈川県だった
実際に明治維新直後、町田を含む三多摩地域は、神奈川県の一部でした。
ところが1893年(明治26年)、突如として東京府(現在の都)は、町田などを神奈川県から「強奪」します。水源をめぐる問題に加え、この地で盛んだった自由民権運動の勢いを弱めようという、極めて政治的な理由からです。
志賀津さんの研究では、この際に一部で編入反対の運動が起こりました。しかし徹底した弾圧が加えられ、これにより、古くから伝えられてきた独自の「町田しぐさ」が消滅した、と志賀津さんは指摘します。