82歳筆者が考える、「パソコン苦手」な若者たち...高齢者向け教室での経験から
最近の若者と、高齢者の共通点
テレビショッピングで、カリスマ的販売能力を有すると言われ、一頃その特徴あるイントネーション共によく見掛けたジャパネットたかた元社長高田明氏が、NHK Eテレの「商売繁盛の極意」で、「これから、高齢者の方にはタブレットでしょう」という発言をされていたが、筆者も予てから同じ意見を有している。
話の成り行き上、82歳の筆者のPCとの関わり合いを説明しておこう。特許事務所勤務で15年間専ら特許明細書の翻訳をやって来た。翻訳は可成り初期からワープロ専用機を経てパソコンで、英文はWord、和文は一太郎ワープロソフトを使用して、文章を作成し、TPOに応じてエアメール、ファックス、それ以前はテレックス、また最新ではE-メールなどを利用して、海外の事務所とやりとりしていた。その東京丸の内の特許法律事務所を退所した後は自営で翻訳事務所を営為し、現在も看板は下ろしていないので、その間現在まで38年ということになる。
そんな訳で、パソコンは常時傍らにあり、これ無くして筆者の生活はない、とも言える。このコラムもデスクトップパソコンで書いており、仕事関係は無論、友人その他のコミュニケーション手段も、このパソコンから発するメールが圧倒的に優勢である。また、東京から転居して、地方都市の、この海辺で暮らすようになってからは、特に書籍、それも専門書ならびにパソコン本体および関連商品(例えば、部品、ソフト、記憶媒体、周辺機器、その他の消耗品など)の購入は全てインターネットを介して済ませる。
それは、大都会とは異なって、地方都市では、商品の在庫やその入手時間のスピードなど、殆どあらゆる点においてネット通販に軍配が上がるからである。
これまで、筆者はノートパソコンを殆ど使用したことは無い。本業の最盛期に、打ち合わせその他でよく東京へ出る際に持参して、ホテルなどで利用したことを除けば...。
マシンの能力、安定性、使い勝手の良さ、全ての点、唯一携帯性を除けば、今のところ、筆者はデスクトップパソコンを手放す気は無い。しかし、この携帯性の利点もタブレットやスマホが出現して、ノートパソコンから急速に失われてしまった。
数年前に、地元の自治会長から当地公民館で続けているパソコン教室の講師が辞め、後継者が見つからないので、何とか引き受けて貰えまいか?との要請があった。しかし、筆者のパソコン能力は、いわゆるパソコン教室で学んで得たものでは無いし、その利用方法というのも、全く自分の仕事本位に限られているので、一般的で無いのでは?という思いがあった。一旦は躊躇したが、新しい地域社会で、なにがしかの貢献が出来るなら、それも良いかなと考え直し、少し条件をつけてボランティアを引き受けた。
その条件というのは、筆者はエクセルの表計算などをやったことは無いし、受講対象者が生涯学習の高齢者となっている以上、街のパソコン教室で就職のためのスキルを得るようなやり方はせず、私独自の考え方でやること、および当初、公民館専用には設けられていなかった独立の無線LAN設備(1階の市役所支所用には業務用有線LAN設備は完備)を設けること、という2点であった。
条件を受け入れる、という公民館からの返事で、筆者のボランティア「パソコン教室」が開始された。その結果、筆者は新たにノートパソコンを購入することになった。というのは、公民館には予算の関係で、学習用パソコンは準備されていない。従って、受講要件として、希望者はノートパソコンを各自準備すること、と定められていたからである。
デスクトップパソコンは持参困難だから、勢い講師としても、現在利用されているバージョンのWindows OSインストール、ノートパソコンを購入せざるを得ない破目となった。しかし、結果的に筆者は、この購入したノートパソコンを教室以外で使用することは先ず無い。殆どの作業はデスクトップパソコンで済ませ、そして外出時には、ちょっと市内へ出る場合でも、大阪や神戸や京都へ出掛ける際にも、また何日間も東京に滞在する場合でも、今やスマホやタブレットのいずれか、または両者を持参するだけで足りる。つまり、携帯性と機能利用の実情からすれば、これで十分、というよりむしろ此の方がよい、とさえ考えて居る。
また、パソコン教室の受講者は、高齢者の(と言っても、殆どの方が60代乃至70代なので、筆者より皆若い)男女なので、講師としての目標は専らパソコンを活用したコミュニケーションに主眼を置いた。先ず、WiFiで、インターネットに接続すること、メールのアカウントを設定し、メールのやり取りが出来るようにする。その上で、受講者専用のメーリングリスト(ML)を準備し、ここを足場にして、自分たちで撮影した写真やファイル(旅行レポートなど)の共有をしながら、親睦と交流を図る。そして講師としては、これを介し講習スケジュールや、次回の講習予定内容を連絡するのに利用している。
教室では、更に検索、動画の視聴やホームページの作成に進んでみたが、続けている内に講師として感じ始めたことがあった。それは、一部の熱心な人達(作成されたHP中、情報量の最も多かった例として、70代初めの女性受講者「卑弥呼」(ニックネーム)さんのHPを挙げる。)を除くと、一般の受講者たちは、HPの作成、公開のような情報発信には然程関心があるようには思えないことだった。つまり、HP作成に関する受講者たちの問題点は、選択すべきコンテンツならびに、それを提供しようという意欲や、その発信情報量の多寡にあるということだろう。
彼らの関心は専ら情報の受け手の立場にあり、自ら情報や準備したコンテンツを発信する側には立ってはいない、ということだ。そうだとすれば、ノートパソコンを扱うよりはタブレットやスマホ(但し、スマホはサイズの問題で高齢者には操作が面倒な場合もある)の方が遥に適している、という思いに至り、これは冒頭の高田明氏の見解と完全に一致する。
筆者の考えは、今や殆ど全ての若者たちが所有し、到る所で目にするスマホやタブレットの本質的機能は、極端な言い方をすれば、メディアプレイヤーにある、と考える。実際、筆者が初めてタブレットを手にしたとき、これはコンテンツ、より広く情報受信、再生器用としてはノートパソコンより優れている、と感じたし、その判断は現在も変える気は無い。
してみると、高齢者を対象とするパソコン教室に、ノートパソコンの持参を求め、それをうまく操作しようと苦闘するよりは、タブレット(スマホ)での音楽、動画再生や、検索による情報蒐集、また、任意(あるいは意図的)に送られて来る情報受信方法などに専念した方がよいのかも知れない。
上掲の東京工芸大学マンガ学科 教授伊藤 剛氏のメッセージに見られる傾向が、スマホ世代の学生たちにも高齢者の場合同様に存在するようだ。これらの学生達も、自らの情報発信の際、オリジナルな文章作成などで機器のワープロ機能を十分に活用するのは苦手で、専ら定型文やスタンプ利用可能なSNSの利用に偏っている、というのが実情ではあるまいか。
パソコンは情報作成、発信により優れ、タブレットやスマホはコンテンツ、情報受信、再生に向いていると結論する所以であり、後者の傾向を有する大方の高齢者と共に、今の可成りの数の若者たちも同様な状況にあるように思えてならない。