越前と越中・越後に挟まれてるのに、石川県の旧国名はなぜ「越」じゃないの?
すでに「前・中・後」を使われており、使えなかった?
今から1400年前、7世紀ころ福井から新潟にかけては「越の国」と言われていました。そして7世紀後半に都(飛鳥)に近いほうから、越前・越中・越後に分けられました。この時、福井と石川が「越前」と呼ばれていました。
しかし、718年に越前から分離し、「能登国」が誕生します。中央政府に従わない東北地方の勢力にたくさんの兵士を派遣するのに、能登は海上を利用して東北に攻め入る拠点でした。かつ、日本海に突き出した地形であったため朝鮮半島との外交拠点ともなっていました。
一つの国として独立するだけの価値があったのです。国の名前は、有力豪族の能登臣馬身龍(のとのおみまむたつ)から名付けられました。
そして、823年「加賀国」が誕生します。越前国が広すぎて国守が全体を統治できなかったのと、加賀郡が一番お米のとれる地域だったのが国の誕生の理由です。
あとから出来た国のため「前・中・後」以外につけるものがなかったから、「越」がついていないというのが妥当な理由かもしれませんね。(ライター:りえ160)