水しぶき、轟音とともに30トンの鉄の扉が上がる...「日本のパナマ運河」小名木川の扇橋閘門
東京の下町を隅田川から旧中川へと東西に結ぶ全長約5キロの運河「小名木川」。天正18(1590)年、江戸に徳川家康が入城したのに伴い、代官小名木四郎兵衛が掘削したのが始まりとされ、松尾芭蕉が俳句を詠み、現代の時代小説にも登場する。その小名木川に南米の「パナマ運河」と同じ仕組みで船を通行させる場所がある。そこが毎年夏場に一般開放されると聞いて、2015年8月、Jタウンネット編集部は出かけてみた。
高低差のある水位を隔てる「閘室」が仕組みの秘密
東京メトロ住吉駅から歩いて10分ほどの江東区の住宅街。1000年以上の歴史を持つ猿江神社にほど近い一角に、その施設はある。
新扇橋の真ん中に立って東方向を見ると、真っ赤な鉄製の巨大な壁が見え、「前扉」の文字が白く浮き上がっている。「扇橋閘門(こうもん)」の一部だ。「前扉」に対応するのは、小松橋から見える「後扉」。二つの扉に挟まれた約110mの水中空間は「閘室」と呼ばれる。小名木川の前扉側の水位は、後扉側の水位よりもかなり高い。これがパナマ運河と同じ構造で船を運搬する仕組みの秘密だ。
重さ30トン超の扉が水しぶきを上げて上がる
Jタウン編集部が訪れた時、ちょうど前扉に一層のプレジャーボートが近づいていた。一般公開中の施設の中から見ていると、閘室の水位がゆっくりと上昇し始めた。前扉で遮られた小名木川の水位と同じまで水量がたまると、今度は轟音とともに高さ5.9m、幅11m、重さ31トンの前扉が水しぶきを上げてゆっくりと上昇した。施設からのアナウンスに合わせてプレジャーボートが閘室に滑り込むと、前扉がゆっくりと閉まった。
今度は閘室の水位が下がり始め、後扉側の小名木川の水位と同じまで下がると、幅は同じで高さが7.3m、重さ39トンの後扉が開き、プレジャーボートは旧中川方向へと去って行った。この間、約6分。東京江東治水事務所のHPで、その仕組みを分かりやすく見ることもできる。ちなみに、後扉側から前扉側へ抜けるときには、閘室の水の動きは逆になるわけだ。
プレジャーボートもカヌーも「タダ」で通行可
小名木川はその最初から、急増する江戸の物資需要を満たすための運搬を担い、江戸時代から川幅を広げて舟運が盛んだった。一方で、江東、墨田、江戸川などの東部地域はもともと低地だったが、明治時代以来の産業用水確保のための地下水くみ上げのため、さらに地盤沈下が進んだ。西側で小名木川が接する隅田川は東京湾の干満も影響して2m近く水位が上下する。結果として、小名木川の西と東で大きな高低差が生じるようになった。
このため、小名木川の水運を確保すると同時に、低い東部地域に隅田川からの水流を制限して水害を防止するために作られたのが、「ミニパナマ運河」の構造を持つ扇橋閘門だ。約30億円をかけ、5年の歳月をかけて1977年に完成したというから、まだ40年もたっていない。
編集部が見学していた時には、小さなカヌーが一艘やってきたこともあったが、その際も、先のプレジャーボートと同じ工程を繰り返した。ちなみに通行料はタダだ。
昨年までは小名木川沿いにあった製粉工場に運ぶための小麦粉を積んだ大型の平べったい船が毎月のように扇橋閘門を通っていたが、その工場もなくなった。産業用水運は陸運にとってかわりつつあり、最近では、土日ともなると、扇橋閘門を行き来するのは、クルーズ船や屋形船、練習用ボートが多くなった。
2015年9月の鬼怒川の堤防決壊は、河川の氾濫の恐ろしさをまざまざと見せつけたが、国土交通省などのシュミレーションによれば、荒川が決壊すれば東京都心部の大方が水に沈むとされる。扇橋閘門は、そうした東京の水害を防ぐ重要な関所でもある。
扇橋閘門という装置は、役割を少しずつ変えてきた小名木川とともに生き続けている。