104年ぶりに旧地名を復活させた、新宿区四谷坂町を歩いた
町の名前はその土地の由来や歴史を知るうえで重要な手がかりとなるものだが、変更される地名の数は意外と多い。2014年は全国で約150カ所、2015年1~8月は75カ所で名前が変わった。
100年以上の長きにわたり「坂町」を名乗ってきた新宿区の旧坂町も、2015年7月21日から「四谷坂町」に変わった。が、実は元に戻ったのだった。
旧坂町地域はもともと「四谷坂町」という名前だった。しかし、戦前の旧四谷区に属していたとき、「四谷区四谷坂町と重複するのはちょっと...」という理由から、1911年に四谷を取って「坂町」に地名が変更になったのだ。
新宿がこの地域の住居表示を番・号に変えるタイミングに合わせ、四谷坂町に戻された。
区のプレートはすべて差し替わっていたが
四谷坂町は防衛省の真ん前に位置し、巨大な電波塔がよく見える。
靖国通り沿いの掲示板には、新しい住居番号の案内が貼られている。
建物の入口に付けられる住居表示板(プレート)は区役所から住民に無料で配布される。それらはすべて新しい表示に差し替えられていた。
物件によっては、以前から「四谷坂町」を名乗っているケースもある。
一方、旧地名通り、ただの「坂町」を名乗っている建物や店名も、もちろんある。今後2つの名前は混在していくのだろう。
都道の靖国通りはまだ「坂町」と表記されている。
三代将軍家光が狩りによく来ていた
新宿歴史博物館の前を通りかかり、四谷坂町の由来を調べてみた。
区の資料「新修 新宿区町名誌」は、坂町の歴史について次のように記している。
「二代将軍秀忠の時代に50人の武士たちがここに屋敷を拝領した」
「江戸初期はこの坂下までは蓮池という大池で、水鳥が多く飛来したので、三代将軍家光はたびたび狩猟に来たという」
「土地が低く水がたまる場所があって、たびたび往来が止まり、道作りや垣根などの修復が困難となっていた。このため武士たちは願い出て、1634年より町屋となった」
「町の名前は町が坂上、坂下に分かれ、その真ん中に武家屋敷を挟んでおり、坂上の町屋は坂道に沿っていたためその名となったとされる」
「1872年7月、四谷坂町と伊賀町飛地やその他を合わせて四谷坂町となり、1911年に『四谷』の冠称が取られ、坂町となった」
博物館からみた四谷坂町は、防衛省の敷地に挟まれた低地にある。坂下と呼ばれた一帯は確かに水がたまりやすそうな地形だ。
かつて小川だった場所は暗渠になっている。耳を近づけると、ゴーと勢いよく水の流れる音が聞こえた。
四谷坂町という名前だけ聞くと、いかにも山の手なイメージがする。しかし実際に歩いてみると、台東区や江東区の下町と錯覚するほど路地は狭く、住宅は密集していた。
町の名前より、地番から住居表示へ移行の方が大変
四谷坂町の人口は約2000人。今回の地名変更にあたり、地元住民からは、「愛着があるので坂町のままでいい」「四谷○丁目と紛らわしく、住所の取り違いが誘発しかねない」「ツを入れて『四ツ谷坂町』にしてはどうか」といった声も挙がっていたという。
しかし町で会った人に話を聞いた限りでは、一度決まったものは仕方ない、新しい名前に合わせていこう――そんな前向きさが感じられる。
ゴミの片づけをしていたご婦人に話を聞いた。町名変更よりも住居表示実施に伴う数字の変更が厄介だとこぼしていた。
「坂町から四谷坂町に変わっただけじゃなく、番・号がまった違う数字になって大変よ。でも慣れていくしかないわね。しばらくは郵便物も旧住所で届けてくれるみたいだし」
Googleマップは「新宿区坂町」のままだ。