104年ぶりに旧地名を復活させた、新宿区四谷坂町を歩いた
2015.08.13 06:00
三代将軍家光が狩りによく来ていた
新宿歴史博物館の前を通りかかり、四谷坂町の由来を調べてみた。
区の資料「新修 新宿区町名誌」は、坂町の歴史について次のように記している。
「二代将軍秀忠の時代に50人の武士たちがここに屋敷を拝領した」
「江戸初期はこの坂下までは蓮池という大池で、水鳥が多く飛来したので、三代将軍家光はたびたび狩猟に来たという」
「土地が低く水がたまる場所があって、たびたび往来が止まり、道作りや垣根などの修復が困難となっていた。このため武士たちは願い出て、1634年より町屋となった」
「町の名前は町が坂上、坂下に分かれ、その真ん中に武家屋敷を挟んでおり、坂上の町屋は坂道に沿っていたためその名となったとされる」
「1872年7月、四谷坂町と伊賀町飛地やその他を合わせて四谷坂町となり、1911年に『四谷』の冠称が取られ、坂町となった」
博物館からみた四谷坂町は、防衛省の敷地に挟まれた低地にある。坂下と呼ばれた一帯は確かに水がたまりやすそうな地形だ。
かつて小川だった場所は暗渠になっている。耳を近づけると、ゴーと勢いよく水の流れる音が聞こえた。
四谷坂町という名前だけ聞くと、いかにも山の手なイメージがする。しかし実際に歩いてみると、台東区や江東区の下町と錯覚するほど路地は狭く、住宅は密集していた。