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カッターシャツ=学生のイメージは、どうして根付いたの?

Jタウン研究所

Jタウン研究所

2014.11.28 07:00
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そもそもミズノのカッターシャツってどんなものだったの?

学生向けの洋品雑貨店として大阪で創業したミズノ。そこから運動服装製造に乗り出し、運動用品も手がける総合メーカーとして確固たる地位を占めている。

同社は1923年創刊のスポーツ誌「アサヒスポーツ」に第1号から931号まで1ページ広告を出稿し続けた。同社の公式サイトを開くと戦前の広告ページを見ることができ、カッターシャツが写真入りで掲載されている。
モノクロページにつき実物の色彩は不明だが、無地ではなくストライプ。次の宣伝文句を読む限り、いろいろと着回しできるレジャーウェアのように見える。

春の軽装 カッターシャツ
ハイキングに・テニスに・事務用に
ウェブサイト「ミズノの歴史」(同社公式サイトより)
ウェブサイト「ミズノの歴史」(同社公式サイトより)

創業者の伝記『スポーツは陸から海から大空へ 水野利八物語』(ベースボールマガジン社)には次のように記されている。

「大阪のファッションリーダーとして、オーバースェーター、カッターシャツ、ボストンバッグ、ランパン、ポロシャツなど次々と新しいネーミングのアイデア商品を生み出す」
「店員にスポーティな服装をさせ古い船場でファッションの元祖を誇示」

スポーツウェアを着る余裕のあった人はまだ一握りだった戦前の日本。一種のステータスシンボルだったことは想像に難くない。

当時の運動選手は現在のタレント並みの人気があった。プロ選手も珍しかった当時だから、学生選手も少なくない。ミズノも商品に六大学野球の選手たちのブロマイドを景品に付けて売りに売ったという。このあたりも、学生=カッターのイメージに結びついた可能性はある。

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