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茨城県民のひそかな誇り「うな丼発祥の地は茨城県!」

Jタウンネット編集部

Jタウンネット編集部

2014.04.16 20:24
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うなぎの蒲焼をご飯の上に乗せる「うな丼」は、日本人が愛してやまないうなぎ料理として全国各地で食べられている。

この「うな丼」が誕生したのはどこか。食文化をリードしてきた京都か大阪か、それとも将軍のおひざ元である江戸(東京)か――実は茨城生まれの料理と言われている。

考案したとされる人物は大久保今助といい、生まれは茨城県常陸太田市。江戸で芝居小屋の金主(資金提供者)をしていたと伝えられている。

うな丼(Jessica Spenglerさん撮影、Flickrより)
Una-don

渡し船が生んだ「うな丼」

うな丼の誕生は偶然だった。彼が江戸から水戸方面へ出向いたとき、現在の茨城県龍ケ崎市にある牛久沼を渡ろうと茶店で渡し船を待っていた。腹を空かせた今助が茶店で蒲焼を注文する。当時、蒲焼は皿、ご飯は茶碗と別々に盛られていた。調理された蒲焼が出され今助が食べようとしたとき渡り船が出発。彼はとっさにご飯の上に蒲焼を載せ、皿をフタ代わりにして船に乗った。

舟が対岸に到着し、船を降りた今助が皿を開けると――彼の目の前にあったのは美味な丼飯だった。船に乗っている間に蒲焼のタレがご飯に染み込み、蒲焼は蒸れて柔らかく変化していた。

今助はこれを江戸で売り出したところ大評判になり、やがて江戸から日本中に広まっていったとされている。

今も「うなぎ街道」がある

茨城県の公式サイトにもこの話は掲載されており、「うな丼発祥の地」として地元が誇りを持っていることは間違いない。

もっとも、今助が茨城出身で思いついたのは茨城県内とはいえ、店として出したのは東京。「発祥の地」としてはちょっと弱いかも。ただし今助の話を聞いた地元の茶店が出すようになって広まったという説もある。

ところで国道6号線を取手市内から竜ケ崎市方面に向かうと、左手に牛久沼が見える。その辺りに老舗のうなぎ料理店が軒を並べており、「うなぎ街道」と呼ばれている。もともと地元の茶店で蒲焼を出していたことからもわかるとおり、一帯は江戸時代以来のうなぎの名産地。風光明媚な牛久沼を眺めながら極上のうな丼を味わうのは、想像するだけでよだれが出そうだ。

ただし乱獲などの影響でうなぎは絶滅の危機にある。偉大な茨城発グルメ「うな丼」を後世に残すためには、現代人の我慢と努力が不可欠だ。