潜入! 都内の怪スポット「人捨穴」とはなんだ
「人捨穴(ひとすてあな)」――そんないかにも不気味な名のスポットが東京都内に存在するとの情報を、Jタウンネット編集部は入手した。

もっとも都内と言っても、そこは本土から約300キロ離れた海上にある八丈島だ。かつては「日本のハワイ」とも呼ばれ、今も羽田空港から飛行機でわずか1時間と、手近なリゾート地として知られている。

しかし情報によれば、その「人捨穴」は、その名の通りかつて人を生きながら捨てた場所だという。はたして、その正体とは――。
「口減らし」のため老人を生きながら穴に...?
問題の「人捨穴」は、島の中部・伊郷名(いごうな)と呼ばれる一角にある。かつては温泉が湧出し栄えた集落だったが、湯が枯れたこともあり、今ではすっかり廃れてしまった。

さて今でこそ、のどかなリゾート地となった八丈島だが、かつては「鳥も通わぬ」と言われた絶海の孤島であり、食料の生産に適しているとは言い難い土地柄もあって、島では飢饉が多発し、たびたび地獄絵図を現出させたそうだ。
噂によれば、この「人捨穴」はこうした飢饉の際、弱った老人たちを口減らしに放り込んだ穴だという。
あの川口浩探検隊もやってきた
かつては、あの「川口浩探検隊」も冒険に挑んだとも聞く。人の気配もほとんどないかつての集落、うっそうと茂る南国の植物、急勾配の道――立ちはだかる危険、苦難を想像しながら進んでいくと......集落に足を踏み入れて数分後、唐突に、左手にその看板は現れた。

「人捨穴 入口」――はげかけた塗装はどことなく不気味さを感じさせるが、意外とあっけらかんとした感じだ。「そば屋駐車場 入口」というような。
あとよく見れば、近くには畑を耕している人もいる。かなり少ないが、まだ住んでいる人はいるらしい。これでは秘境ではなく、普通の村だ。あれ、川口浩隊長......?
......いや、だが、「人捨穴」があるのはこの先だ。勇を奮って道に分け入る。ここからは足元の舗装もない。いったいどんな怪奇が待ち受けているのか――。

ところが、ものの数十メートルも進まないうちに、そこには巨大な倒木が。根の土も残っており、まだそう古くはない。2013年の暴風雨などで倒れたのだろうか。
なんとか乗り越えられないか悪戦苦闘したが、結局は断念することに。人捨穴を目前に、空しく帰路につくほかなかった。
意外と拍子抜け?
思わせぶった割にひどく残念なオチになってしまい恐縮だが、ではこの人捨穴には何があるのだろうか。
あるユーザーのツイッターでは、その姿をとらえた写真が掲載されている。
八丈島、人捨穴 pic.twitter.com/SYfBDJUcnG
— どこでも配人センター (@maidrobot) 2013, 8月 31
穴は意外と狭く、そこには平凡なお地蔵さんが鎮座しているだけだ。また、「入口」からも徒歩1分ほどで、あの木さえ倒れてなければすぐにたどり着けたらしい。とても「人捨穴」というイメージとは一致しない。
本当の由来は?
こうなってくると、そもそも「人捨穴」の由来からして怪しくなってきた。八丈島観光振興実行委員会によるパンフレットによれば、こうある。
「人捨穴と呼ばれる深さ32mの穴があって(戦後、埋めたという)、楢山節のような言い伝えがあるが、幕末に難破上陸した欧米系捕鯨船員の遺体を埋めたともいわれている」
穴が浅い理由はわかったが、この説明では単なる「お墓」ということになる。
また別の有力な説では、人捨穴は古の「風葬」の遺構だともいう。これはこれで興味深いが、あまり怪奇感はない。
ただし、こんな怖い実話も...
ただ、八丈島は江戸時代には罪人が流される「流人の島」であり、それにまつわる「いわくつき」の話題は、実は少なくない。
『江戸の流刑』(小石房子著、平凡社新書)によれば、八丈島では流人たちによる再犯が相次いだため、見せしめも兼ねて断崖から海に「生きたまま突き落とす」などの凄惨な刑罰が行われたとある。同じ流人島だった三宅島では、「涸沢」と呼ばれる育てられない流人の子を捨てる場所があったという。これこそまさに「人捨て」だが......
諸説はあれ、八丈島のディープな歴史を象徴する「人捨穴」。倒木が片付けられなければ、このまま埋もれて消えていくのだろうか。