死を忘れない
東京・信濃町にある真生会館の理事長を務める森一弘さんは、カトリック司祭(神父)の立場から、キリスト教について学びたい人や宗教に関わらず、人生そのものや生きるということについて考えたいと思う人たちのために、さまざまな講座・講演会を主宰すると同時に、50年以上もの間、相談に訪れる多くの悩める人や苦しむ人に向き合い、その声に耳を傾け続けてきました。
11月28日に新発売された『「今を生きる」そのために』(扶桑社)では、そうした森さんの長年の体験から、誰しもに覚えのある「苦しみ」や「不安」「心の傷」怖れ」「無関心」などについて、それらをどのようにとらえ、そこからどのようにしたら抜け出せるかを、具体例を交えながら、わかりやすく紹介しています。明日を拓いていくためのきっかけを見いだしていけるように、7つの章から成る本書に因み、7回にわたって、本書の内容を紹介していきます。
第4回 死を忘れないことが生きることにつながる
うれしくない「更新」が続いています。12月17日、東京でのコロナ感染者数は一気に増えて822人。もはや桁が変わりそうな勢いです。「気をつけているのに、いっこうに収まらない」と不安になる人、「先行きがわからないから、やりたいようにやる」と投げやりになる人、さまざまでしょうが、たとえどのように過ごそうとも、私たちには逃れられないものー病気や死があります。
たしかに、病気は医学の発達によって、昔ほど怖れられてはいないのかもしれません。しかし、私たちは、いつの間にか死ですら怖れないようになっていたのではないでしょうか。
そもそも、人間は自分の髪の毛1本ですらつくることも出来ない存在です。死には格差はなく、平等に皆に訪れ、いつになるのかは誰にもわからない。聖書に、莫大な財産をしまう蔵を建て安心していたら翌日死んでしまう男の話もあります。
それなのに、死を遠いもののように考えていれば、今回のような事態に右往左往するのも致し方ないのかもしれません。本書『「今を生きる」そのために』の4章「死と向き合う、死を想う」では、自分の境遇に絶望しいのちを絶った女子高生や、自死を図りながらも生きていこうとする中年男性の話が語られ、「生」のために「死を忘れない」ことの重要性が説かれています。
自分も自分の大切な人たちもいつか「死」を迎えると認識することは、今日一日を丁寧に扱うことにつながる