京都?いいえ、小豆島です 朱色の塔にレトロな街並み...雰囲気たっぷりの「迷路のまち」に3000人熱視線
海賊の侵入を防ぐため、あえて迷路に?
「見てくれた人があの日に戻れるような写真をお届けしたい」――そんな思いで活動しているフォトグラファー・めかぶさん。小豆島が好きで、たびたび訪れている。話題の写真は初めて小豆島に行った時に撮ったものだという。
この風景を見つけたとき、小豆島に息づく文化のようなものを感じたそうだ。
<引用>
「小豆島を歩いてスナップしている時に見つけた風景です。『迷路のまち』と呼ばれる地域になるのですが、ここ以外の街の雰囲気もレトロでとてもよくて大好きです」(「めかぶ」さん)
「迷路のまち」とは、小豆島の土庄町(とのしょうまち)本町付近一帯のことだ。どんな地域なのか? Jタウンネット記者は、土庄町商工観光課に、話を聞いた。
迷路のような町並みの形成には、小豆島ならではの歴史的な背景も関係しているらしい。
「『迷路のまち』は、南北朝時代に、海賊の侵入を防ぎ、意図的につくられたと伝えられています。そして、こんな迷路の路地になったもうひとつの理由としては、ここが港町だからです。
見通しが悪いとは、つまり風が抜けにくいということ。海辺の町では、海からの風がきつく、路地で風が弱まれば、潮風で家が傷んでいくのを防いでいたとも伝えられています」(土庄町商工観光課担当者)
複雑に入り組んだ細い路地に、古い民家や商店が立ち並ぶ土庄町本町地区。8ヘクタール余りの区域に三差路が約60もあるのが特徴だという。
この「迷路のまち」を観光の目玉として活用しようという試みは、2005年、町商工会の事業としてスタート。観光客に町歩きを楽しんでもらおうと、地図付きのパンフレット等を作成したそうだ。
2007年には、地元の13商店が、「迷路のまちづくり委員会」を立ち上げ、その後「迷路のまちボランティアガイド協会」も設立。
今から650年以上も前の南北朝時代に生まれた「迷路のまち」地区はいま、大正時代や昭和初期に築造された家屋の並びと相まった、独特の風情を醸し出し、人気を集めているそうだ。
「迷路のまち」の主な見どころを担当者に尋ねると、次の3箇所を挙げた。
・西光寺の土壁と三重の塔を背景にした場所
・西光寺の三重の塔から見下ろした「迷路のまち」
・迷路のまちの入口看板付近と世界一狭い海峡「土渕海峡」周辺
読者も、小豆島「迷路のまち」で迷ってみては、いかがだろう?