福井・敦賀駅前が「銀河鉄道999」「宇宙戦艦ヤマト」だらけなのは何故? 観光協会に聞く歴史と〝新幹線開業後の珍現象〟
パリまで行く国際列車のルートだったことも!
敦賀観光協会によると、敦賀市の中心商店街「シンボルロード」には、漫画家・松本零士さんの「銀河鉄道999(スリーナイン)」から16体、「宇宙戦艦ヤマト」から12体、計28体のモニュメントが設置されている。それは敦賀が、「鉄道と港のまち」だからだ。
「1999年の敦賀港100周年を記念し、敦賀のイメージ『鉄道(駅)』『港』『科学都市』と将来像を重ね合わせて『銀河鉄道999』=『鉄道(駅)』、『宇宙戦艦ヤマト』=『港』のモニュメントを設置いたしました」(敦賀観光協会担当者)
モニュメント設置の目的は、敦賀市の歴史をより多くの人に知ってもらうため。
例えば次のように、敦賀は港と鉄道と共に、歩んできた街なのだ。
「敦賀港は古代より大陸に開かれた玄関口として重要な役割を果たしてきました。
このことから、1869(明治2)年、日本初の鉄道となる4路線の一つとして、京都-敦賀間の鉄道建設が決定され、1882(明治15)年に日本海側初の線路が敦賀に敷かれました」
「1912(明治45)年に欧亜国際連絡列車の運行が始まり、新橋(東京)-金ケ崎(敦賀)間を直通列車が走り、敦賀港から連絡船でウラジオストク(ロシア)へ、そこからシベリア鉄道でパリ(フランス)まで行くという路線が確立されました」
「さらに、1957(昭和32)年には日本初となる本格的交流電化が完成し、1962(昭和32)年には当時、世界第5位の長さを有する北陸トンネルが開通しました」(敦賀観光協会担当者)
敦賀は交通の要衝として、機能し続けていたわけだ。
港町としての重要性は想像できたが、鉄道とのつながりがこれほど密接だったとは驚きだった。
とくにシベリア鉄道でパリまで行く「欧亜国際連絡列車」の運行ルートを、敦賀~ウラジオストク間の連絡船が担っていたとは......。
北陸新幹線敦賀開業以来、敦賀シンボルロードにも訪日外国人旅行客の姿が目立つようになってきたそうだ。
その影響もあるのだろうか? 「敦賀駅に目の前に設置してある『宇宙戦艦ヤマト』の佐渡商店のモニュメントのお茶碗にお賽銭を入れる観光客も増え珍現象となっております」とのこと。
敦賀観光協会担当者は、「設置から25年が経過し、このような形で多くの方に目にしていただける機会が増え大変嬉しく思います。ぜひモニュメントをご覧に敦賀にお越しください」とコメント。
1体だけあのアニメの名曲が流れるモニュメントがあるそうだ。探してみるのも楽しいだろう。