「高校3年、夏の大会の3回戦。私の野球人生が終わった日に、顧問から言われた『ごめん』の理由」(神奈川県・30代男性)
「キャッチャーやってくれ」
なりたかったのは、ピッチャーです。しかし、顧問のT先生にこう言われました。
「キャッチャーが1人もいないからやってくれ」
私はやったこともないキャッチャーをやる羽目になりました。

はじめは本当に、嫌で嫌で仕方がありませんでした。
中学野球は軟式ボールだったこともあり、硬式ボールが怖かったです。全力で投げてくるピッチャーの球を受ける度、手のひらがパンパンになったり、突き指をしたりしました。
目の前でブンブンとバットを振ってくるバッターのすぐ後ろに座ることや、バウンドボールを全身で受け止めたりすることから球に対する恐怖も生まれ、毎日どこかしらにアザやケガができる日々を送っていました。
それでも、チームメイトとの時間や、他にキャッチャーがいないため試合には出してもらえることから、毎日楽しく練習ができていました。