まさか皆で吸ってるの...? 謎のイベント「秦野たばこ祭」の実態を、現地で調査してきた件
コロナ禍で中止になっていたお祭りに復活の兆しが見えた2022年。今年はどんなイベントが開催されるんだろうとネットサーフィンをしていた時、「それ」を発見した。
「秦野たばこ祭」
神奈川県中西部・秦野市で行われる催しなのだが......「たばこ祭」って一体ナニ? まさか、喫煙者を集めまくって、みんなでたばこを吸いまくる奇祭なのか?
こんな謎すぎるイベントを見逃すことはできない。Jタウンネット記者は9月24日と25日に行われた秦野たばこ祭に参加することにした。
秦野市のウェブサイトによると「たばこ祭」は1948年に初めて行われた。昨年、一昨年はコロナ禍の影響で通常開催が見送られたため、第75回となる今回は3年ぶりの開催となる。
駅から出た瞬間、みんなたばこを吸ってたらどうしよう......と少々物怖じしながら電車を降りた記者が見たものは――。
超ダイナミックな「採火」イベント
川沿いの道が人々で溢れ、祭り屋台がズラリと並ぶ。子供たちもたくさんで、祭りは大盛況。
喫煙所はあるものの、その辺でたばこを吸いまくっている人がいるわけではない。安心した。
しかしそうなると、なにが「たばこ祭」なのだろう。祭りに参加しながら、探ってみることにしよう。
24日は台風15号の影響で一部のイベントが中止に。しかし、この日のメインとも言えるイベントはしっかり行われた。
秦野市立本町小学校で開催される「ジャンボ火起こし綱引きコンテスト」だ。
木の棒を手でグリグリ回して火をおこす「火起こし器」のことは、皆さんきっとご存じだろう。このコンテストでは、秦野産の木材で作った約5メートルの高さの超巨大火起こし器に回しかけた綱を引き合い、火をおこすのだ。
1チームが2グループに分かれ、火起こし器を挟んで綱引き。今年は5チームが参加し、点火までにかかった時間を競い合う。
会場となった本町小学校には多くの人々が訪れ、参加者を応援。ダイナミックなイベントで初日から祭りはヒートアップしていた。
ここで生まれた種火でたばこを吸う――わけではなく、大きな松明にともされたあと、誰もが楽しめる豪華絢爛なファイヤーパフォーマンスの炎に。
そうして、祭りの1日目は終了した。
「たばこ音頭パレード」の大行進
2日目の午後からは、「たばこ音頭パレード」が行われた。「♪秦野葉たばこ 畑つくり ハーみてくれ秦野のはたらき手」と独特過ぎる歌詞が印象的な「秦野煙草音頭」に合わせて、踊り子たちが祭りの会場である通りを優雅に進む。
日が暮れた夕方からは、手作りのらんたんとフロート車のパレード「らんたん巡業」が行われた。手作りならではの温もりのあるデザインのフロート車はどれも魅力的で、ひきつけられるものがある。
そして、19時からはフィナーレの幕開けとなる「弘法の火祭」が始まった。
「弘法の火祭り」は、かつて弘法大師が秦野にある「弘法山」で修業を積んだ際、五穀豊穣を祈願して松明をたいたという故事にならったもの。弘法大師に扮した高橋昌和秦野市長ら一行が本町小学校から火を掲げて、秦野橋を通り水無川の対岸までパレードをする。
そして、ライトアップされた護摩壇に高橋市長が火をつけ、それに続いて川沿いに並ぶ大きな松明に火を灯した。
ラストは鮮やかな花火
水無川周辺に集まった観客たちを魅了した火祭りが終わると、フィナーレの打ち上げ花火へ。
約2000発の鮮やかな花火が秦野の空を舞う。その光景を多くの人々が立ち止まって見守っていた。
こうして秦野たばこ祭は幕を閉じたのだが......。それぞれのイベントを見る限りでは、「火」が非常に重視されていたり、「たばこ音頭」が存在していたりするものの、たばこどう関係しているのかはわからない。老若男女が楽しめる、ごく一般的なお祭りだった。
しかし、祭りで盛り上がる街の中で、ちゃんと「たばこ」に関する催しも行われていたのである。
そのうちの1つが、本町公民館で開催されていた「秦野たばこ資料展」。葉タバコ耕作の写真や工作に使われた道具が展示されていて、秦野とたばこのつながりを知ることができた。
秦野は古くからタバコの名産地として栄え、江戸時代後期にはこの地で栽培されたタバコの葉は「秦野葉」の名で広く知られるようになったという。そして、幕末から明治にかけて喫煙文化が広がると秦野のタバコ耕作はさらに発展し、大正から昭和にかけて全盛期を迎えた。
明治時代には葉タバコの収納所、試験場、製造工場が開設された。ここで働く人々が秦野に住み始めることで市の人口が増え、葉タバコの収納に訪れた人々で商店街はにぎわい、秦野の発展を前進させたそうだ。
秦野のたばこ産業を再び盛り上げるために
輝かしい歴史ばかりではない。第二次世界大戦の戦中、秦野のタバコ耕作は落ち込んだのだ。さらに戦後の不況期とあいまって、町からは活力が失われた。
そんな秦野のタバコ耕作のピンチの中、第一回目の「たばこ祭」が開催される。
1948年、神奈川県煙草耕作組合連合会の創立25周年を記念するため、また不況期を官民一体となって乗り越えるために様々な企画が行われた。その1つが「たばこ祭」だったのだ。
衰退したタバコ耕作を再び発展させ、秦野を復興させよう――。そんな思いで開催されたイベントだったが、葉タバコ農家は減少していき、「秦野葉」も74年に終了。そして、タバコ耕作自体も84年に終焉を迎えた。
しかし、タバコ耕作で栄えた歴史を秦野市が忘れることはない。
本町小学校と上小学校の校章には葉タバコがデザインされている。市役所の入り口は「秦野煙草の碑」が設置されている。祭りの前後には市役所や公民館、秦野駅や「グランドホテル神奈中 秦野」などで葉タバコの実物展示が行われる。
そして、禁煙時代と言われる現代になっても、祭りは「たばこ祭」という名のままだ。
祭りの要所要所に登場する「火」は、葉タバコ耕作に携わった先人の情熱を表したものだそう。
「どんな奇妙な祭りなんだろう」なんて軽い気持ちでやってきた記者だったが、帰宅する頃にはすっかり、火のようにアツい「たばこ祭」に魅了されきっていた。