セーラー服の「襟の形」にも、地域差があるらしい いったいなぜ?大手制服メーカーに聞いた
あなたの学校では、女子生徒の制服はブレザーだっただろうか、セーラー服だっただろうか。
Jタウンネットでは以前から、「制服の地域差」について調査を進めているのだが......なんと、セーラー服の「襟」のデザインにまで地域差があるというウワサが流れてきた。
学校制服等の企画・営業・販売を手掛ける「明石スクールユニフォームカンパニー」(本社=岡山県倉敷市)の公式ツイッターが、2021年11月29日、「セーラー服」の地域差についての見解を投稿し、注目を集めている。
全国に支店をもつ同社は、札幌・関東・名古屋・関西の学校で採用されているセーラー服の「襟」について、それぞれの地域ごとの傾向をイラストで紹介した。
「胸あて」必須の地域、無くてもOKな地域
札幌襟......襟は肩幅まであり、鎖骨あたりのラインが曲線的。襟下はかなり浅く、胸あてが要らない。
関東襟......襟は肩幅より狭く、鎖骨あたりのラインが曲線的。襟下はバストより上で、胸あてはあったりなかったりする。
名古屋襟......襟は肩幅まであり、広い。鎖骨あたりのラインが直線的。胸あては必須アイテムで、襟下はかなり下。
関西襟......襟は肩幅まであり、鎖骨あたりのラインが直線的。胸あては必須アイテムで、襟下はバストより少し低い。
理由は謎、だけど...
皆さんが今まで、周りで見かけたセーラー服を思い起こしてみてほしい。どうだろう、これらの傾向は当てはまっているだろうか。
これら4種の襟について、同社は「関東だから浅め、名古屋だから深めという決まりがあるわけではなく...。なぜ地域によって傾向が偏っているのか実は謎なのです」とツイートしつつ、地域差が見られる理由についてこう推測している。
「恐らく、その土地の洋品店が昔から作っていたセーラー服を、当社を含む制服メーカーがパターン作成の際に参考にしたため当時の型がそのまま引き継がれ、現在まで地域によって似た傾向が出てきているのではないか」
どうやら、個人の洋品店がセーラー服を製作していた頃から、この地域ごとの傾向は存在していたらしい。Jタウンネット記者は12月7日、明石スクールユニフォームカンパニーに詳細を聞いた。
取材に応じたSNS運用の担当者によると、セーラー服の襟に地域ごとの傾向が見られることについて、
「社内の商品管理担当者数名に尋ねたところ『そうした傾向があることは知っている』という話だったため今回ツイートした」
と、説明。なお、話題になったイラストで用いている「関東襟」「関西襟」のような呼び方は正式名称ではなく、「巷でそう言われている」通称とのことだ。
お母さんがセーラー服を手作りしていた頃
推測として投稿していた「洋品店が作っていた型が、制服メーカーに引き継がれた」というのはどういうことだろう。
「セーラー服は洋品店(編注:地域に昔からある個人店で、学生服を製作・販売しているお店)で作っていた型が元とツイートしましたが、それより昔の大正時代ごろ、セーラー服が日本に入ってきたころは自宅でお母さん方が縫っていたという歴史があります」
そこからだんだんと、裁縫が得意なお母さんにいわゆるママ友が制服の仕立てを頼むようになり、それがお店に発展したケースもあったと考えられるそうだ。
「ですので、制服の原型としては、『型紙は学校から配られデザインも大方は決まっていたのですが、ディテールは各家庭によって様々にあった』というわけです」(窓口担当者)
この家庭ごとのバラつきが、「憧れの○○さんの制服は襟が特徴的でかわいい、真似したい」というニーズにつながった。そしてこの頃に、微妙なデザインの違いが地域ごとの偏りとして定着していったとも考えられるという。
その後、女性の社会進出など様々な社会の変化があり、じょじょに制服の縫製はメーカーが引き受けるように。ただ、「元の制服」のコピーが引き続き作られ続けたため、地域によってディテールが異なった状態で現在まで受け継がれているというわけだ。
「日本で早くからセーラー服を制服として導入された学校(金城学院・西南女学院・フェリス女学院等)は、制服を伝統として引き継ぎ、当時の型のまま今まで着用されているケースもあります」(窓口担当者)
かつてセーラー服を着ていた皆さん、あるいは今も着ている皆さんは、自分の襟はどんなタイプか観察してみるのも面白いかもしれない。
(9日11時55分追記)明石スクールユニフォームカンパニーから、回答した内容を訂正したいとの要望があり、一部修正しました。