こんなとこまで海だったのか... 「縄文時代の関東地方」マップに反響「チーバくん、痩せてたんだな」
2021.11.24 20:00
縄文時代の貝塚遺跡の多さを実感しよう
江戸東京博物館の学芸員によると、この図は2021年12月5日まで開催中の特別展「縄文2021―東京に生きた縄文人―」の展示パネル等に使用するため作成したものだという。「縄文2021」の特別協力であり、この図を作成した東京都埋蔵文化センターは作成の狙いや見どころについて、こう語った。
「この図を作成した目的は、縄文海進による海岸線の後退と縄文時代貝塚の分布との関係を見ていただくことです。また、東北地方南部から静岡県東部までの広域地図にすることで、地理的・地形的に東京地方の位置関係を把握してもらうことも意図しています」
「この図の見どころは、縄文時代の貝塚遺跡の多さを実感していただくことです。それに加え、自分自身の住まいが当時はどういうところであったか(海!)探していただけると楽しめるかと思います。そして周辺の貝塚に興味をもって訪れていただければ幸いです」(東京都埋蔵文化センター)
海岸線は、時期ごとに変わっていく。その時期に沿って分布している貝塚に注目してもらいたいとのことだ。
「ピーク時には現在の海岸線に比べ、陸地のかなり奥まで海が侵入しています。現在の陸上奥にまで貝塚が見つかることの理由がわかります」(東京都埋蔵文化センター)
ツイッターには、こんな声も寄せられている。
「私の実家がある東京都北区上中里2丁目にも、貝塚があります」
「浦和の名前の由来が大昔に海があったからで、別所沼公園に貝塚があったり、高砂、岸町などの町名がこれを見ると納得できます」
「別所沼や白幡沼から上は坂になってて(東側)、常盤とかあっちの方はかなりの高台になってるから、坂より下は大昔は海だったんでしょうね。浦和駅の周りには海にまつわる町名が多いんですよね」
(2021年11月25日編集部追記:記事初出時、地図の作成元についての情報が不足していたため追記しました)