越前海岸をドライブ中、突如現れる「カッコよすぎる旅館」が話題に なぜこんな形に?館主に聞いた
福井県の越前海岸は、日本海に面し、南は敦賀の杉津から、北は東尋坊まで、奇岩断崖で知られる景勝地だ。天候の良い日は、多くの車で賑わうドライブスポットでもある。
2021年6月22日、次のような写真付きのツイートが投稿され、話題となっている。
投稿されている写真は、3階と4階がやや突き出している不思議な建物である。
目の錯覚だろうか? 壁が歪んで見えるような......?
「越前海岸を車で走っていると突如現れる『こばせ旅館』のカッコよさを誰かと分かち合いたい」というコメントが添えられている。コメントには「キュビズム的というか脱構築的というか」ともつぶやかれているが、いったいどういうことだろう。
本間智希さんが自身のアカウント(@tmkhnm1986)に投稿したツイートには、4500件を超える「いいね」が付けられ、今も拡散している(6月28日昼現在)。
Jタウンネット記者は、投稿者・本間さんと、「こばせ旅館」館主に取材した。
荒波のなか北に向かう北前船をイメージして作られた
まず投稿者である本間さんに、今回のツイートのきっかけを聞いてみた。
本間さんは建築史の研究をしており、日ごろから旅先で出会った気になる建築を撮影しては、設計者や竣工年数などの情報を調べているという。
「こはぜ旅館」を最初に見たのは、初めて越前海岸を訪れた2017年。
「(17年に初めて)こばせ旅館を見て驚いたけど、それ以降は特に情報が明らかになりませんでした。今月ひさしぶりに再訪し、改めてその魅力を見て、タイムラインでの皆さまの力をお借りして何か情報を得られないかと思い、投稿をしました」(本間さん)
とくに気づいたことや、感想についても聞いた。
「インパクトある外観は、なんと言っても建物の外壁が不定形に折れ曲がり、3階と4階の高さが途中で変わっているなど内部空間の変化が外観にも特徴ある変化を与えているところがポイントです。
このような不定形な形態の建築は、1980年代から2000年代にかけて世界的に隆盛したデコンストラクション/脱構築主義と呼ばれる現代建築の特徴にも共通するものです。
例えば日本でも一般的に知られるイスラエル人女性建築家のザハ・ハディド氏も、脱構築主義の騎手として台頭した建築家と言われています。
ただ、今回のこばせ旅館は1973年建築なので、世界的な脱構築主義の流れに先駆けて、このような不定形な形態の建築を、しかも越前海岸という地方に実現したことは、とても興味深いことだと思います」(本間さん)
本間さんのツイートをみて、旅館の主人に建物について直接話を聞きに行った人もいるという。その人のおかげで、竣工年や、「荒波のなか北に向かう北前船をイメージして作られた」という設計意図が分かったそうだ。
外観が「北前船」をイメージしていると知った本間さんに、その感想を改めて聞いた。
「まさに日本海の荒波に揉まれながらも果敢に進まんとする北前船の姿を彷彿とさせるなと思っています。 危険や犠牲も伴いながらも日本海に豊かな資源と文化をもたらした北前船の歴史を現代に伝えようとする、設計者や施工者の心意気や技術の高さも伝わってきます」
「時代が移り変わりながらも、風土に根ざした歴史や文化を、どのように表現し伝えるかは今後さまざまな地域で問われてくるなかで、未だ設計施工者不明ですが、名もなき作り手たちの、ものづくりへの気概を感じさせる建築です」(本間さん)
越前海岸には、こばせ旅館に限らず、国重要文化的景観に選定された豊かな風景がある。「興味を持った方は、感染対策に気をつけながら訪ねてみてほしい」と本間さんは語った。
次にJタウンネット記者は、福井県越前町にある「こばせ旅館」に電話取材を試みた。取材に応じたのは、「こばせ旅館」五代目館主の長谷裕司(はせ・ひろし)さんだった。
「当館は、1870年(明治3年)に塩湯治旅籠として開業させていただきました。塩湯治とは今でいう海水浴のようなものです。創業以来150数年、たくさんのお客様にご来館いただいており今日に至っています」(長谷裕司さん)
今回、話題になっている建物は、1973年(昭和48年)、先代が建てたものだという。50年近く前のことになる。
「先代から聞いた話では、国道305号線の工事のため、以前からあった木造の旅館を建て替えることになったということです。道路によって敷地も削られ、細長い建物しか建てられなくなってしまった。
そこで北西に向いた鉄筋コンクリート製の建築を考えたそうです。普通の四角い建物ではおもしろくない、北前船をイメージした建物にしようというのは、その時に決まったようです」
「この越前海岸沿いは、古くから海上交通のルートになっていたようで、比較的栄えた寄港地、湊もありました。北に位置する坂井市の三国湊は、その代表格として知られています。
また南越前町では『右近家(うこんけ)』と呼ばれる北前船主が、北海道と敦賀の間を航海して、大きな利益をあげていたと伝えられています。日本海の荒波を乗り越えて、大きな商いを成功させる、北前船は憧れの存在だったようです」(長谷裕司さん)
ちなみに北前船主の館・右近家は南越前町立の資料館として、現存する。10代目右近権左衛門は明治期の実業家で、日本海上保険(現在の損保ジャパン日本興亜の前身)を設立に大きな役割を果たした。
また、「こばせ旅館」は作家・開高健氏が愛した宿としても知られているという。
「大浴場へ続く廊下の一角にギャラリーを設けています。開高先生の珠玉の言葉の数々を展示させて頂いています。
また、ロビーにはこの世に唯一無二、当館の為に書かれた「うみべの宿で一杯やれば~」やユーモア溢れる『この家ではいい~』もございます」(長谷裕司さん)
同館のYoutubeチャンネルには「空から見たこばせ」「朝の空中散歩」など、さまざまな動画が公開されている。