住所は、「住所」...? 京都・福知山に紛らわしすぎる地名があった
京都府福知山市になんだか紛らわしいバス停があるらしい。上がその写真だ。
バス停に書かれている文字を縦に読むと......、「住所」?
住所は分かったが、いったいどこなのか? 住所は、「住所」?
――どうやらここは、「住所」というバス停らしい。
Jタウンネット記者は、京都交通福知山営業所に電話で聞いてみた。
「あ、すみんじょ、ですね?」
電話に出た担当者は、あっさり答えた。「じゅうしょ」ではなく、「すみんじょ」というバス停だという。
京都交通の路線バス、夜久野(やくの)線51系統、52系統のバス停で、所在地は、福知山市上小田。
夜久野線はJR西日本山陰本線の福知山駅前から下夜久野駅前(いずれも福知山市)を結んでいる。
「住所(すみんじょ)というのは地名ですか? いつごろから住所(すみんじょ)と呼ばれているのですか?」と食い下がって聞いたが、「いやぁ、私の実家の近くだけど、生まれる前から住所(すみんじょ)と呼ばれていました。詳しいことはちょっと分かりません」という答えだった。
そこでJタウンネット記者は、福知山市役所に聞いてみることにした。
寛政年間の『丹波志』に、「スミショ」の文字が......
Jタウンネットの質問に、丁寧に答えてくれたのは、福知山市役所生涯学習課の担当者だった。
「住所(すみんじょ)という地名の由来ですか? なかなか難問ですね。
江戸時代、1795年(寛政7年)に刊行された地誌『丹波志』の中に、川口郷の上小田村に4つの地名(集落名)が記されています。
その中に、『スミショ』とカタカナで書かれた地名が見られます。このスミショに、住所と漢字をあてたのではないかと考えられます。
スミショが『住所(すみんじょ)』と呼ばれるようになったのかもしれません」
しかし、なぜ、「スミショ」だったのか?
もともとこの辺りは、京都と山陰地方を結ぶ街道沿いだったという。
人の交流、物資の交流が盛んに行われていたらしい。古くから交通の要衝として栄えた地域だったそうだ。
ここには旅人相手の店があったり、運送や建設土木といった仕事に関わる人々が住んでいたのかもしれない、と生涯学習課担当者は語った。
交通の要衝、街道沿いの「スミショ」とは何か? 謎は深まるのみだ。
京都交通の住所(すみんじょ)というバス停の名称は、少なくとも江戸時代の文献まで遡れたが、あるいはもっと古いのかもしれない。
明智光秀が、信長の命を受けながらも、攻略に苦戦したと伝えられる丹波の國。バス停の名も、思い切り奥が深そうだ。