町田の一部、本当に神奈川県になってしまう 今さらなぜ?市役所に聞いた
「飛地」に荷物が届かないことも
それにしても、なぜ市の境界線が変更されるのだろうか。
町田市議会の公式サイトによれば、かつて町田市と相模原市との境界は境川の河川中央となっていたが、現在は河川改修によって両市の一部が川を隔てた「飛地」となって存在している。
そこから生じる様々な不都合を解消するために、境界線を新河川中央に変更して、飛地をなくすというわけだ。
Jタウンネットは2日、町田市の総務部総務課担当者に詳しい話を聞いた。
「昔から境川は氾濫しやすい川でした。昭和30~40年ごろに川沿いの宅地開発が進み、田んぼで水を吸収することができなくなりました。40~50年ごろに改修して氾濫しにくい川にしようという話が出てきて、ジグザグした川をまっすぐにしてきました」
境川改修の背景をこのように話す担当者。そこで飛地ができたことによって、荷物が届かなかったり、ゴミの集積に河川の向こう側まで行かなければならかったりなどの不便が生じ、境界線の変更に至ったという。
最初に行政境界が変更されたのは1999年(平成11年)12月1日。変更は約4年のスパンで行っており、今年で7期目だ。担当者によれば9期までを予定しているが、昭和50年代から続く河川改修の進捗が遅くなっていることから「残り8年で終わるかは分からない」とのことだ。