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東村山駅前に立つ「志村けんの木」の歴史 誕生のきっかけは?市に聞いた

笹木 萌

笹木 萌

2020.03.30 18:07
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みなさんは西武鉄道・東村山駅(東京都東村山市)の東口ロータリーにある「志村けんの木」をご存知だろうか。2020年3月29日に70歳で死去した、タレントの志村けんさんの功績を称えて植えられた木だ。

志村けんさん(2016年撮影)
志村けんさん(2016年撮影)

志村さん亡き今、木のそばには献花台が設置され多くの人が花を手向けている。東村山市の渡部尚市長も30日、自身のツイッターで、

「東村山15万市民の皆さんと共にご回復を祈っていましたが、願いが叶わず残念でなりません。心より哀悼の誠を捧げ、ご冥福をお祈りいたします」
「聖火リレーのランナーをお願いしていただけに残念でなりません。心よりご冥福をお祈りいたします」

と投稿。志村さんの死を悼んだ。

しかし、「志村けんの木」はどういう経緯で生まれたのか。Jタウンネットは東村山市の秘書広報課に取材した。

なぜ3本のケヤキなの?

志村さんといえば、出身の東村山市の民謡「東村山音頭」をアレンジ、1976年に「8時だョ!全員集合」で披露したことで知られる。東村山市の知名度アップに貢献したとして、志村さんには市から感謝状が贈られた。

そこで市によって植えられたのが、この「志村けんの木」だ。東村山市の秘書広報課によれば、その様子は77年にフジテレビのお正月番組で中継されたそうだ。

志村けんの木(画像はFlickrより、naruhodonさん撮影)
志村けんの木(画像はFlickrより、naruhodonさん撮影)

「志村けんの木」は3本のケヤキの木。市の緑化組合が寄贈したという。

秘書広報課は木の種類と数について、

「なぜ3本のケヤキなのかはわかりませんが、ケヤキの木は『市の木』にもなっていますので、その関係もあるかもしれません」

と説明。当初は違う場所に植えられていたが、東村山駅が整備される中で今の場所に移植されたそうだ。

志村けんにとっての東村山は...

2015年3月、市制施行50周年を記念し「志村けんの木」に記念看板が設置された。「志村けんの木」という表記は志村さんの直筆だという。

記念看板(画像はFlickrより、chihirot022さん撮影)
記念看板(画像はFlickrより、chihirot022さん撮影)

東村山の市報(2015年1月1日号)には、渡部市長と志村さんの対談が掲載されている。渡部市長はその中で、看板設置の経緯を以下のように語っている。

「志村さんが出演された番組で、駅前にある『志村けんの木』について触れられた時に、『看板も何もない』とおっしゃられてました。その後、多くのかたから『看板を作ったらどうか』とご要望をいただいています」

渡部市長はここで志村さんに「志村けんの木」と書いてもらうようお願いしたようだ。

一方、志村さんは同市報で東村山への思いを次のように話している。

「お正月は実家に帰るんですけど、やっぱり自分のふるさとがあるっていうのは、とても良いことで、ほっとしますね。車で帰る途中、所沢街道に入ってそろそろ自分の家だなっていうときに、なんとなくほっとするのが、やっぱり気持ちがいいというか、それが、東村山にはあるということですね」

長年にわたりお茶の間に笑いを届け、地元の知名度向上にも貢献した志村さん。どうか安らかに。

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