奥多摩の山中に、要塞のような巨大工場があった マニア垂涎の絶景スポットを歩く
深山幽谷に屹立する巨大な工場。まるで小説か映画のような光景が、東京・奥多摩で見られるという。
JR奥多摩駅の目と鼻の先にある奥多摩工業氷川事業所(氷川工場)がそれだ。重厚なたたずまいが工場マニアにも人気のスポットとなっている。一体どんな様子なのか、現地の様子を実地取材してみると、自然豊かな奥多摩の隠れた姿と歴史が浮かび上がってきた。
断崖沿いの秘密基地
2019年4月上旬、電車を乗り継いで降りた奥多摩駅は快晴ながら肌寒い。駅の車止めのある側からも奥多摩工業氷川工場の建物を望める。石灰石の加工工場である。
まずは奥多摩駅を出て日原川沿いの道路を北に向かう。工場の近傍にある日原川の釣り場、「氷川国際ます釣り場」周辺まで歩いてみる。
工場の建造物は日原川と山地がつくった狭い土地に密集して建っており、様々な建屋や配管が所狭しと張り巡らされ、まるで山奥に建てられた城塞のようですらある。周囲が山地なこともあって、007の映画あたりに出てくる、悪の組織が密かに建てたアジトにでもありそうな光景だ。
壁面にサビが目立っている部分もあるがちゃんと現役で操業している工場で、サビもまた年季や歴史を伝えてかえって重厚さが増している。
そもそもなぜ奥多摩の山間に、しかも駅の近くにこんな工場があるのか......と思うが、実は青梅線自体がこの奥多摩工業が計画した鉄道なのだ。
奥多摩で採れる石灰石を運ぶべく設立されたのが青梅線の前身、奥多摩電気鉄道という会社。ところが建設が始まった路線は1944年に国有化された上、同年に青梅線として全線が開業する運びになった。
それでも奥多摩電気鉄道は奥多摩工業に社名を変えて石灰石の採掘とセメント生産を事業として営んで現在に至る、という経緯があり、実際に氷川工場から石灰石を輸送する貨物列車が1998年まで長年青梅線に走っていた。青梅線は風光明媚な観光路線なだけでなく、貨物輸送の重責も担っていたのである。
さて氷川国際ます釣り場付近から日原川の上流に目をやると、何やら廃線跡のようなコンクリートのアーチ橋がある。
これも周囲に不釣り合いな建造物だが、奥多摩工業の石灰石輸送とは別に小河内ダム建設のために作られた貨物線「水根貨物線」の遺構である。1952年から56年の間、小河内ダムの建設資材輸送のために東京都水道局の路線として、奥多摩駅(当時の駅名は氷川)から蒸気機関車を使った貨物列車が走っていた。
しかし57年の小河内ダム完成後は列車が走ることもなく放置されている。工場目当てで来たはずが、奥多摩の産業史の遺産にも出会ってしまった。
今なら道路にトラックを走らせて資材を運んでしまうだろうが、戦後まもなくの当時、日本の道路事情は極めて劣悪。膨大な資材を運ぶには鉄道が適していたという訳だが、厳しい線路条件で殉職者も出たというこの鉄道、それほどまでしてダムを建設した先人の努力に頭が下がる。完成した小河内ダムにより奥多摩湖ができて、都民の水がめと憩いの場になっている。
マニア必見、山中のトロッコ鉄道
一旦奥多摩駅に戻り、さらに工場に接近すべく線路の反対側に出て山沿いの道に向かう。歩みを進めると工場の設備が手を伸ばせば届かんばかりの距離に迫り、プラントをくぐるような場所もある。
全く人が出入りする様子がないので遠くからは廃墟のようにも見えるが、近づくと機械の動作音が大きくなってくるので、現役バリバリで稼働している工場だと実感できる。
道は工場の敷地内をくぐるように細く険しくなって行くが、ここで引き返すべからず。けもの道のような細く荒れた道になっても進んでいくと、さらに工場マニアの心をくすぐるモノが見えてくる。採掘した石灰石を輸送する無人トロッコ鉄道だ。マニアからは奥多摩工業曳鉄線の通称で呼ばれている。
谷底に橋を渡してちょっとだけ地上に出ているトロッコ。工場同様年季が入っているが、これも現役で稼働している。操業日にはケーブルで牽引されたトロッコが何台も連なって行き来する。山に登って行く側はカラで、下って行く側が石灰石を満載している様まで見ることができる。さらに山奥で今も奥多摩工業により石灰石が採掘されている証だ。
昔はこれらの石灰石は青梅線の貨物列車で運び出されていたが、今はすべてトラックに切り替わっている。その証に奥多摩駅のかつて貨物線があったエリアは線路が取り払われて、トラックやショベルカーが作業している。
また奥多摩駅に戻って掲示の地図をよく見ると、面白いことにこの曳鉄線、地図に路線が記載されていた。この先鉄道などないのにと知らないと不思議に思うが答えはこれだった。
曳鉄線が氷川工場から出て、トンネルを通り先ほど見た橋梁に出て、またトンネルに入るところまで正確に描かれている。右上の白い弧を描いているのは先ほどの水根貨物線のアーチ橋だ
ハイカーや釣り人でにぎわう奥多摩だが、彼らを乗せる鉄道ももとは鉱山開拓のために作られ、切り開かれていった。日原川のせせらぎがひびくのどかな町の中で、産業史を伝える生き証人として奥多摩工業氷川工場は今も稼働している。
ちなみに曳鉄線の現地に行かれる場合、道には「この先工場用地につき関係者以外立ち入り禁止」の旨の看板があちらこちらに立っているので、くれぐれも敷地内に立ち入らぬようお願いしたい。