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大阪北部地震の震源近くで、400年前に起きた「慶長伏見地震」とは?

松葉 純一

松葉 純一

2018.06.18 17:00
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豊臣秀吉が台所で一晩をすごした?

伏見城 模擬大天守、小天守(Thomas vanierschotさん撮影、Wikimedia Commonsより)
伏見城 模擬大天守、小天守(Thomas vanierschotさん撮影、Wikimedia Commonsより)

慶長伏見地震がどんな地震だったのかを知っておくことは、現代の私たちにとっても大事なことではないだろうか。

2011年3月11日に発生した東日本大震災の後、平安時代前期(9世紀)に東北地方を襲ったと記録されている貞観(じょうがん)地震の再来ではないかと、指摘する人が多かった。過去に発生した地震の記録には、いくら注意を払っても払いすぎることはないだろう。

慶長伏見地震は1596年9月5日に発生した、現在の京都・伏見付近で発生した大地震だ。有馬-高槻断層帯と六甲・淡路島断層帯を震源断層として発生したマグニチュード 7.25-7.75程度の直下型地震と推定されている。

被害は京阪神・淡路島の広い地域に及び、大坂(大阪)・堺・兵庫では家々が多数倒壊、京都では伏見城天守や東寺、天龍寺等が倒壊し、死者は1000人を超えたと伝えられている。

豊臣秀吉肖像、一部(高台寺所蔵)(PD-old 、Wikimedia Commonsより)
豊臣秀吉肖像、一部(高台寺所蔵)(PD-old 、Wikimedia Commonsより)

この伏見城の主が、あの豊臣秀吉だった。秀吉は1592年から築城を始めて、1596年に完成しており、指月伏見城と呼ばれている。ところが完成直後に起きた慶長伏見地震で、天守閣の上二層が倒壊する大きな損害を受ける。

江戸時代前期の史書『当代記』によると、城内で数百人が死亡したが、豊臣秀吉は無事で、台所で一晩をすごしたという。翌日から、指月伏見城から北東約1キロにある高台・木幡山に仮の小屋を造り、避難生活を送ったとされる。後に木幡山伏見城が築城されることになる。

この地震にまつわる記録や逸話は多い。謹慎中だった加藤清正が伏見城に駆けつけ、動けない秀吉をおんぶして助け、謹慎を解かれる『地震加藤』という歌舞伎や落語も誕生している。もちろん史実ではなく、創作であろう。

なお災害がきっかけとなり、この年10月27日に「慶長」に改元された。

慶長伏見地震とは、当時の権力者にも多大な被害を与え、元号を変える契機ともなった、大きな震災だった。なお、今回の地震の震源は、有馬-高槻断層帯と特定されたわけではない。余震にはくれぐれもご注意いただきたい。

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