長崎の常識「皿うどんにウスターソース」 発祥の店、四海樓に話を聞いてみると
積極進取の長崎だからこそソースをかけた?
皿うどんは一見かた焼きそばの亜種のようにも見えるが、長崎で生まれたいわば「長崎中華」だ。長崎市の名店「四海樓(しかいろう)」が発祥で、もともとはやはり同店発祥の「ちゃんぽん」のバリエーションとして誕生したメニュー。同店の4代目オーナーである陳優継さんの著書『ちゃんぽんと長崎華僑』によると、明治末期にはすでに存在していたようだ。
揚げた細麺に餡をかけたもの、というイメージがあるが、四海樓のサイト上の説明によると、炒めておいた麺にスープを入れ、残らなくなるまでなじませた「炒めちゃんぽん」とでもいうべき形が本来の皿うどんとのこと。細麺を使うのは、作りやすさを考慮して生み出されたアレンジだったようだ。
現在でも皿うどんに特化したお店などに行くと、「やわらかい麺? 固い麺?(太い麺? 細い麺?)」と麺の種類を聞かれることがあるが、前述の理由による。
さてここからが本題だ。そんな皿うどんに、なぜウスターソースをかけるのだろうか。この謎を解明すべく、Jタウンネット編集部は発祥の店である四海樓に取材を行ったところ、担当者は「長崎という場所だったからこそでは」と答えてくれた。
「皿うどんにソースをかけるのは、かなり早い段階で行われていたと思われます。かつて国外との窓口でもあった長崎は、早くからさまざまな舶来の食材が入ってきていました。その中にウスターソースもあり、『なんだかわからないが、とりあえずかけてみよう』と手に取ったのでしょう」
担当者によると長崎の気質は「積極進取(せっきょくしんしゅ)」。新しいものにはまず手を出して、使わずにはいられないという。当時まだ目新しかった中華料理(長崎中華だが)に、酢や醤油ではなく、やはり目新しい調味料であるウスターソースを合わせてみると面白いのでは、と長崎っ子たちは考えたのかもしれない。
「当時はまだソースをかけて食べるような料理も多くはありませんでしたし、ちゃんぽんや皿うどんも珍しい料理だったはず。そもそもソース自体が貴重品です。今の感覚で言うところの、珍しい国の料理に変わった調味料を使うようなものだったのではないでしょうか」
調味料といえば「味を補うもの」とされていた時代、ソースは味の変化を楽しむものと認識されていたとのこと。コショウやマヨネーズ、パクチーなど入れるノリだったのだろうか。
ちなみに、中華料理とウスターソースという組み合わせ自体はおかしなことではない。ウスターソースを意味する「辣醬油」「英國黑醋」などの名前で中国語圏のレシピを調べてみると、調味料にウスターソースを用いた料理がいろいろと出てくる。台湾では町の食堂の卓上に「烏酢」という名前でウスターソースが置かれている。これは完全に日本のウスターソースと同じ味で、酢や醤油感覚で料理にかける。
正確に当時の長崎におけるソース伝播状況を調査していないので、あくまでも記者の勝手な推測だが、四海樓の初代オーナーで華僑でもある陳平順氏も、ちゃんぽんや皿うどん開発時にウスターソースの存在を頭の片隅で意識していたのかもしれない。
では、ソースを作っている側ではどのように考えられているのだろうか。ソースであれば何でもいいわけではない。長崎で皿うどんにかけるソースといえば、忘れてはならないのが「金蝶ソース」。後編「皿うどん用のウスターソース『金蝶ソース』は、いかに生まれ、普及したのか」では、金蝶ソースを製造する長工醤油味噌協同組合にも、皿うどんとソースの関係について話を聞いてみた。