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「天狗にさらわれた少年」の話を聞いた男 平田篤胤とは、どんな人物なのか

松葉 純一

松葉 純一

2018.03.29 06:00
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2018年3月27日、次のような写真付きのツイートが投稿され話題となっている。

このツイートの投稿者は、広島県呉市にある書店・啓文社ゆめタウン呉店だ。江戸時代後期の国学者・平田篤胤(ひらた・あつたね)が著した『仙境異聞』が、岩波書店から復刊されたという告知だ。「一時ネット書店で数万もの超プレミア価格がついた本がまさかの復刊!」というコメントも添えられている。

さらに3月28日、岩波文庫出版部からは次のようなツイートが投稿された。

岩波文庫としては久々の重版だったが、「大人気で、早くもさらなる重版となりました」という告知だ。「これは帯に描かれた天狗の力?」というコメントも......。お堅いイメージの岩波さんらしからぬ、手描き風のオビも好評のようだ。

遠くへ行くには大空をかけて...?

実は『仙境異聞』は、2018年2月頃から注目されていた。次のようなツイートが投稿され、話題となったのだ。

「『江戸時代に天狗に攫われて帰ってきた子供のしゃべったことをまとめた記録』があってそれがめちゃ面白いし読める」と、『仙境異聞』についてコメントしている。「天狗じゃなくて宇宙人じゃないか」と思うという記述もある。

このツイートには、なんと3万5000を超える「いいね」が付いた。『仙境異聞』とは何だろう? 平田篤胤とはどんな人なのだろう?

『仙境異聞 勝五郎再生記聞』子安宣邦校注、岩波文庫(岩波書店)
『仙境異聞 勝五郎再生記聞』子安宣邦校注、岩波文庫(岩波書店)

記者は2月当時、『仙境異聞』(岩波文庫)を読んでみたいと思ったが、Amazonで検索してみると中古品でも数千円という高値が付いているではないか。購入するのはあきらめ、早速、近くの公立図書館に駆けつけ、親切な司書さんに探してもらったところ、幸運にも借りることができた。

この本の内容は、1820年(文政3年)、平田篤胤が45歳のころ、江戸に出現した「天狗小僧寅吉」の取材記録である。寅吉は神仙界を訪れ、そこの住人たちから呪術の修行を受けて帰ってきたという。篤胤は、天狗小僧から聞き出した異界・幽冥の世界の様子をまとめ、出版した。それがこの『仙境異聞』だ。

寅吉が天狗の下で修行したとされる、茨城県笠間市の愛宕山(Σ64さん撮影、Wikimedia Commonsより)
寅吉が天狗の下で修行したとされる、茨城県笠間市の愛宕山(Σ64さん撮影、Wikimedia Commonsより)

例えば、(天狗の)師に連れられて行くときは、大空を行くか? 地を行くか? と問うと、寅吉は「地を歩いて行くこともあるが、遠くへ行くには大空をかけて行く」と答えている。また「大空に昇ると、雲か何かは知らないが、綿を踏むような気分だ。矢よりも早く、風に吹き送られて行くため、耳がグンと鳴るのを自覚する」とも答えている。

またその行先はというと、「遠き諸越の国々」までとも答えている。諸越(もろこし)、つまり唐土、中国大陸へ空を飛んで行ったということだ。江戸時代にまさか飛行機で飛んで行ったとは考えられず......、「どうも天狗じゃなくて宇宙人じゃないか」という感想も出るわけである。

平田篤胤『國文学名家肖像集』(Hannahさん撮影、Wikimedia Commonsより)
平田篤胤『國文学名家肖像集』(Hannahさん撮影、Wikimedia Commonsより)

この『仙境異聞』を著した平田篤胤とは、どういう人なのだろう。

平田篤胤は1776年、出羽久保田藩士の四男として久保田城下(現在の秋田市)に生まれた。20歳で故郷を去り、江戸に出奔する。江戸でさまざまな職業を経験しながら、苦学を続け、25歳のとき備中松山藩士の兵学者・平田篤穏の養子となっている。

篤胤は、国学に新たな流れをもたらし、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長とともに国学四大人の一人とも呼ばれている。また西洋医学、ラテン語、暦学・易学・軍学などにも精通し、仏教・儒教・道教・蘭学・キリスト教など、さまざまな宗教も研究分析していたとされている。

篤胤は、有識者向けだけでなく、一般大衆向けに講談風に口述し、弟子たちに筆記させ、後に出版している。これらの出版物は町人・豪農層の人々にも支持を得て、国学思想の普及に貢献した。

とくに異界の存在には興味を示し、死後の魂の行方と救済をその学説の中心に据えたという。

天狗小僧から聞き出した異界・幽冥の世界の有様をまとめた『仙境異聞』に続き、篤胤は『勝五郎再生記聞』『幽郷眞語』『古今妖魅考』『稲生物怪録』など、一連の幽冥世界について著述している。

秋田市手形の旧正洞院にある平田篤胤の墓碑(江戸村のとくぞうさん撮影、Wikimedia Commonsより)
秋田市手形の旧正洞院にある平田篤胤の墓碑(江戸村のとくぞうさん撮影、Wikimedia Commonsより)

1841年、江戸幕府の暦制を批判した『天朝無窮暦』の出版によって、幕府に故郷・秋田に帰るよう命じられる。久しぶりに秋田に帰った篤胤は、2年後、68歳で病没した。当時の門弟は500人を超え、没後の門人は1300人以上とされている。篤胤の学説は、幕末の尊皇攘夷思想の支柱として、多くの人々に影響を与えることとなる。

ツイッターにはこんな声が寄せられていた。

秋田市千秋公園にある彌高神社(いやたかじんじゃ)は、平田篤胤を主祭神として、1881年(明治14年)、創建された。後に、同じ秋田出身の経世家(経済学者)、農学者、農政家の佐藤信淵(さとう・のぶひろ)が合祀されている。平田篤胤と佐藤信淵は、秋田が誇る知の巨人として、県民たちの崇敬を集めている。

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