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水行に巨大ロウソクに裸祭 南魚沼の「裸押合大祭」には、いろんな要素が詰まってる

Jタウンネット編集部

Jタウンネット編集部

2018.02.28 06:00
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寒さの残る3月の新潟でさらし1枚になり水行をする、30~50キロはある巨大なロウソクを担ぎねり歩く、お堂の前で「さんよ、さんよ」と掛け声を出しながら奉納品を求めて押し合う――。3つのお祭りを紹介しているわけではなく、すべてひとつの祭りの要素だ。

その祭りは、新潟県南魚沼市浦佐(うらさ)にある普光寺(ふこうじ)の毘沙門堂で繰り広げられる「裸押合大祭(裸押合い祭りとも)」。ちょっと要素が盛られ過ぎなのではないかとも思えるこのお祭り、一体どのようなものなのだろうか。

裸祭と聞くと血が騒ぐ(写真は「にいがた観光ナビ」より)
裸祭と聞くと血が騒ぐ(写真は「にいがた観光ナビ」より)

なんとしても本尊を参拝する

要素が多いといっても、裸押合大祭はつい最近始まった祭りではなく、文部科学省の「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に登録されている、歴史ある祭りだ。文科省のサイト上に記載されている説明によると、

「年頭や春先に行われる無病息災や五穀豊穣を祈願する行事」

とのことだが、それがなぜ裸で水行をしたり、巨大ロウソクを担ぐことになったのか。Jタウンネットの取材に対し裸押合大祭委員会の担当者は、「もともとは普光寺の毘沙門堂にあるご本尊(毘沙門天)への年頭の参拝だったとされている」と答えてくれた。

「なんとしてもご本尊に参ろうとする混雑と、参拝前に身を清めるための水行などが合わさって裸参りに、やがて裸祭になったと思われます。1840年ごろ(江戸時代後期)に出された新潟の生活を紹介する書籍『北越雪譜』の中でも紹介されており、当時からよく知られた祭りだったようです」

もともとは正月3日に行われていたようだが、明治時代に太陽暦が採用された際に3か月ズレて、現在は毎年3月3日の夜に行われるようになったという。

一連の行事の流れとしては、参加者たちが大ロウソクを持って水行をし、その後毘沙門堂に向かい「さんよ、さんよ」と掛け声を出しながら、お堂の一段高い所に祀ってある本尊の毘沙門天を誰よりも早く、近くで参拝しようと押し合う。最後に年男がお堂に入り、音頭取りが音頭歌(おんどうた)を歌う中で参加者が堂内を左回りに回って終了する。

「もちろん目的はご本尊の参拝ですが、押し合っている最中に奉納品の名前を書いた木の札が撒かれます。参拝品をいただくためにこの木の札を奪い合うのも醍醐味のひとつです」

ツイッターに以前行われた祭りの様子が投稿されているが、見るからに激熱で勇壮な雰囲気だ。

ちなみに「さんよ」という掛け声は「さんよ節」という歌になっており、祭りが行われる普光寺のサイト上には

「越後うらさの毘沙門さまは、 国の宝よ福の神サ 三月三日の深雪の中で、裸はだしの押合い祭り ハア、サンヨ、サンヨ、サンヨ、サンヨー」

という歌詞も掲載されている。気になるこの「さんよ」という言葉の意味だが、「(木の札を)撒き与えよ」から「撒与(さんよ)」という掛け声になったとのことで、なんとなく発している声ではない。

ところで大ロウソクの要素だが、担当者ははっきりした経緯はわかっていないと話す。

「大ロウソクは奉納品で製造法は秘伝とされており、お祭りのために地元で作られます。ロウソクには奉納者のお名前が書かれ、祭りの際に火が灯されます。水行に向かう際に担いで歩くのですが、その由来はよくわかっていません」

ロウソクは火を灯せばなくなってしまうので、一定期間奉納品として置いておきたい場合は木ロウソク(ロウソク型に作った木彫り)を奉納する。

祭りは浦佐の人たちが中心になって行われるが、一般参加も可能で周辺地域や県外からも多くの人が参加するとのこと。さらしは現地で販売されており、草履は配布されているので、当日現地に行きさえすれば誰でも気軽に参加できる。

「2年ほど前ですが、友達と見物に来ていた県外の方が自分も服を脱いで飛び込みで参加し、残された友達が『行方不明になった』と慌てて探し回るということもありました。思わず参加してしまいたくなる熱気のあるお祭りだと思います」

最近刺激に飢えている、毘沙門天を参拝したくて仕方がない、巨大なロウソクを見てみたいという人には自信を持っておすすめできるお祭りだろう。

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