長野県歌・信濃の国、「7番」を追加断念? 県担当部署に確認すると...
カラオケでも歌われる県歌
長野県のサイトに掲載された説明によると、「信濃の国」はもともと1900年(明治33年)に作られた唱歌で、学校などで長く歌い継がれてきたが、1966年に県章やシンボルを決定した際、県歌に制定してはどうかという気運が盛り上がり、1968年に県歌として制定されたという。
「長野県民のほとんどが歌える」とも言われる「信濃の国」だが、その実態は前述のとおりだ。長野県のゆるキャラ「アルクマ」も「信濃の国」で踊る姿を披露している。
ステージPRで踊った「アルクマダンス」
— 信州アルクマカンパニー (@arukuma_caravan) 2018年2月4日
上手におどれたかなー!?
これで、アルクマおやまにかえるねー
まったね⤴
⭐アルクマ⭐ pic.twitter.com/uVdGhYZq7q
しかし、そんな県歌になぜ7番を追加しようと考えたのか。「さすがに長すぎない......?」と考えた記者が、50周年記念事業に関わる長野県企画振興部広報県民課に確認したところ、次のような答えが返ってきた。
「報道で誤解もあるようなのですが、7番の歌詞を追加するというのは当課が考えた企画案のひとつで、県として7番を追加しようと具体的に何らかの動きがあったわけではありません」
同課の担当者によると、「信濃の国」が作られたのは100年以上前ということもあり、歌える人は多いものの、歌詞の意味は知らないという声も少なくないという。そこで、改めて県歌を見直し再認識してもらうきかっけにするひとつの方法として、現代語訳した新たな歌詞を7番として追加するといった案も出されたのだ。
だが、「歌えない人もいるのに歌詞を増やしても意味がないのではないか」「大事な歌なので歌詞を追加してほしくない」といった意見が県民から寄せられ、企画案からは取り下げたというわけだ。今現在は新たな企画案として、特設サイトに「信濃の国」を歌ったり、踊ったりしている姿を投稿してもらうことを考えているとのこと。
気になるのは、「信濃の国」の尋常ではない認知率だ。ツイッター上でも「信濃の国」にまつわるさまざまなエピソードが見られるが、そのどれもが歌えることが前提となっている。
長野冬季五輪の開会式・閉会式で日本選手団が入場する時に、長野県歌「信濃の国」が流れて来たのをテレビで見ていた信州出身の母は、感激で涙が出てきたらしい。 #annm10
— ラジオネームは阿佐ヶ谷駅(2) (@Pn_asagayaeki) 2018年2月5日
留学から戻りバイトに復帰した先輩が長野県大町市出身とわかった瞬間に、共に長野県歌「信濃の国」を合唱したのは流石だと思った
— かんた (@kan_1224lenient) 2018年2月5日
県庁に用事があって電話したら、最初の保留音が県歌の「信濃の国」でさすが県庁!と思った。更に2回目の保留音が「信濃の国」4番で素直に感心した。6番まであるけど4番だけメロディー違うんですよね。
— raika@2/24Beyond東京 (@raika36243251) 2018年2月5日
長野県歌『信濃の国』は学校でも習いますし、県内行事で事ある毎に歌うのです。駅のホームで流れたり、Jリーグの試合前に歌ったり、TV局が毎朝放送開始時に流したりもします。県議会で県を南北に分けると決議しかけたとき、議場の外から大合唱が聞こえてきて立ち消えになったという「伝説」もあります
— Azrail (@S_the_Azrail) 2018年2月8日
この認知度の高さは一体どこから来るのだろうか。
「実はよくわかっていません。日常的に歌を習う場と考えると学校かと思われますが、すべての学校で教えられているのか確たる証拠はありません。年配の方からは学校では校歌と共に必ず覚えて歌ったというお話は聞くのですが」
上記のツイートで挙がっている場面以外にも歌われる機会は多いようで、担当者は小学校の合唱コンクールや県庁での仕事始め、仕事納め、各地の県人会の集会などでも歌っていると話してくれた。
「かしこまった場だけではなく、日常的に歌うことが多いというお話も聞きます。私も最近初めて聞いたのですが、カラオケでよく歌う人もいるようです」