真夜中の墓場で遊ぶ、ある子どもの話【ささや怪談・最終回】
「その子にとっては、お墓が唯一安らぐ場所だったんだって」
セイさんは、穏やかにそう言った。
わたしたちは、怪談を集めて、発表するイベントを行っている。
他のメンバーは、イデマチという男と、ヒラタユミさんと米田智貴くんの四人だ。
この四人で、クロイ匣(ハコ)という団体を運営している。
今日は、みんなで集まって、Kという和菓子屋を訪れた。
何ということはない。
わたしたちは、何となく話しているだけでも、楽しかったからだ。
話題は、いつしか怪談のことになる。
すると、お店で働いているセイさんが、
「そういえば、昔ね...。実家で、こんなことがあったんだって」と、語り始めた。
わたしは、レコーダーのスイッチを入れた。
大正時代。
セイさんの大叔父さんにあたる方の話である。
「今でいうところの、ぼんだったのよ」
彼のことは、S君としておこう。
小学校の低学年で、身体の弱い子だった。
友達も、いなかったそうだ。
彼には、ちょっと変わったところがあった。
夢遊病である。
彼は、夜な夜な、布団を抜け出して、どこかに出かけることがあった。
明け方になると、ふらりと戻ってきて、そのまま自分の布団に入ってしまう。
「よく、足の裏を泥んこの真っ黒けにしたままで、寝てたんだって」
彼は、自分がどこにいたのかを憶えていなかった。
こんなことが続いたものだから、家族も放っておくわけにはいかなくなった。
それで、小作人たちに見張りを頼むことにした。
ある夜のことである。
S君は、眠った時のままで、屋敷の外に出て行った。
闇夜の中を、提灯ひとつ持たずに。
「その時代は、街灯も無いし、夜中でしょ。なのに」
彼は、村の外れにある墓地へと、まっすぐに走って行った。
転びも躓きもせずに。
墓地にいるのは、彼だけだった。
「大勢で、追っかけっこや鬼ごっこをしているみたいに」
彼は、たったひとりで、誰かと遊んでいた。
月明かりだけの暗闇を、踊るように、弾むように。
溌剌と。
夜が白みかけた頃。
彼は、一目散に家に向かって、布団に潜り込んでしまった。
小作人たちは、自分たちが見たものを、家族に包み隠さず報告した。
「何日かしてから、私の遠い血縁にあたる方の御父上が、やってきたの」
(詳しくは、「京の和菓子屋で聞いた、とある猫の話」をご参照下さい)
S君は、その人に、こんなことを話した。
「毎晩毎晩、誰かが家まで呼びに来てたんだって」
それで、遊びに行きたくなった時だけ、その誘いに応じていたという。
「墓地に行ったら、火事みたいに真っ赤な火が焚かれていて、賑やかだったんだって」
そこには、同い年ぐらいの子たちが待っていて、いっぱい遊んでくれたのだという。
「もし、この子を無理に引き止めたら、寿命が短くなってしまうだろう。それなら、好きにさせてあげたほうがいい」
大人たちは、そのように悟ったという。
一年後、S君は亡くなった。
亡くなる直前まで、墓地での夜遊びは続いたという。
「その子は、呼ばれたのかな、そこまでの寿命だったのかな......」
セイさんが、そっと呟いた。
結局のところは、確かめようがない。
ただ、彼にとっての死が、「恐怖」だったと決めつけるのは、浅はかなことかもしれない。
わたしは、ため息をついてから、レコーダーのスイッチを切った。
ふと、セイさんが、わたしに尋ねた。
「前田くんは、どうして怪談を集めだしたの?」
三人が、わたしに視線を向けた。
「もともと、友達や知り合いの為に、これを始めたんです」
他人には、なかなか信じてもらえない思い出や記憶。
たったひとりで、抱え込んでみたり忘れてしまうには、苦しくて面倒な代物。
いびつで、不完全で中途半端で、こわくもなんともないジャンク品。
そういったものを受け入れて、信じようとして。
せめて、わたしだけでも、と。
「だからです」
わたしは、幽霊や死後の世界の存在よりも、目の前にいる人の話を信じたかった。
どんなにちっぽけで馬鹿みたいな話だとしても、それは唾棄すべき記憶や妄言なんかじゃない。
ささやかなメッセージにも、物語にもなりうるのだ、と。
「けど、ずっと人を信じようとするのって、無理があるんだよ」
「そうよね。文字で読む分にはいいけど、耳で聞くと感情が伝わってくるから」
セイさんが、助け舟を出した。
結局のところ、他人の記憶や証言を辿って行く過程で、感情や痛みや苦しみを追体験しなければならない。時には、お互いを深く傷つけてしまうこともある。
すこしずつ、負荷が掛かってしまうのは、避けられない。
「なんとなく、つらそうなのは感じていました」
ヒラタさんが、悲しげな目をしながら、わたしに言った。
「そんなことないよ。でも、いつまでも続けようとは、思ってない」
「わかっていますから......」
イデマチが、すまなそうにつぶやいた。
わたしは、そっとため息をついた。
三人が、どんな表情を浮かべているかぐらいは、顔を見なくてもわかっていた。
いつの間にか、Nさんという常連客が、店の前に立っていた。
そして、にこやかに微笑みながら、わたしたちを見つめている。
彼は、七福神の恵比寿さんのような笑顔が、トレードマークだ。
不意に、Nさんが、口を開いた。
「なあ、前田くん。こんなんな、もっと適当でええやんか。ところでこの前、俺の部下から、こういう話を聞いたんだけど、正月にその子のアパートでな」
「待ってください。今はちょっと」
わたしは、頭を抱えた。
さあやろうぜ、という気分ではない。
「前田さん、オーケーですか?」
米田くんが、無邪気な笑顔で、わたしにレコーダーを手渡した。
「なあ、続きを話してもええか?」
Nさんは、チェシャ猫みたいな笑顔を浮かべて、わたしたちとセイさんに目配せした。
わたし以外の全員が、嬉しそうな顔をしていた。
ちくしょう。
わたしは、人間も幽霊も、大嫌いだ。
あいつらは、わたしの気持ちや都合というものを、まったく考えてくれない。
「もう大丈夫です。続きを聴かせて下さい」
いつか、わたしたちの物語は、終わってしまうのだろうか。
わたしは、少しだけ迷ってから、レコーダーのスイッチを入れた......。
「ささや怪談」は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。(編集部)