春の昼下がりに、猫の言葉を聞いた人の話【ささや怪談】
前回に続いて、「猫」にまつわる話をもう一つ。
「その子も、虎猫やったの......」
京都駅から、バスで十分ほど。
中心部の繁華街をすこし外れると、ほっそりした小路がある。
その小路の奥に、Kと呼ばれる和菓子屋がある。
この店で働いているのは、セイさんと店長のお二人だ。
わたしは、お火焚き饅頭を注文してから、ぼんやりと長椅子に座っていた。凍えるほどの夜風だったが、ここはいつも暖かかった。
「よかったら、炙ってみる?」
セイさんの提案に、わたしは乗った。
飴色になった饅頭は、焼きたてのパンよりも香ばしくて、ほっとする味だった。中の餡にも火が通ったことで、本来のどっしりとした甘みにコクが加わっている。
わたしは、お客さんの流れが落ち着いたのを見計らって、セイさんに続きを聞いた。
店長はといえば、表通りに散歩に出かけた。
タバコを片手に。
セイさんが、まだ学生だった頃。
「たぶん春だったかな」
セイさんの家には、虎猫がよく集まっていた。
「田舎の家だから、土間から上り框までがとても高かったの。それで途中に、階段替わりの大きな切り株が置いてあって、そこに猫ちゃんたちが集まってくるのね」
五匹の虎猫だった。四匹の大人と、一匹の子供。
大人の猫たちは、みな黒と茶色の縞模様をしていた。子猫だけは、白と茶色の縞模様だった。また、痩せっぽちではあるが、端正な顔つきをしていたという。
「私がエサをあげようかなって出て来ると、みんな一列に並ぶわけ」
その日は、子猫が端っこに追いやられていた。
「で、大人の猫たちがどんどん伸し上がって来るから、端っこにいた子猫ちゃんがハミゴになっちゃうのね」
セイさんが持っていたエサは、片っ端から大人の猫たちが捥ぎ取って行った。もちろん、子猫に与えようとしても、すぐに奪われてしまう。
どの猫も、お腹を空かせていたからだ。
その日のエサは、ちくわか煮干しだった。
「大人の猫たちの分を先に済ませて、あの子の分は最後にしよう。そう思った時」
セイさんの左手が、ひゅっと引っ張られた。
子猫の手だった。
セイさんと、子猫の目が合った。
ぼくにも
驚いたセイさんは、大人の猫たちを慌てて追い払った。
子猫は、ようやくエサにありつくことが出来た。
しばらくすると、子猫は満足したのか、その場をすたすたと去って行った。
「はっきり聞こえたのよ」
小さな男の子を思わせる声で、それは喋ったという。
セイさんの家には、他に誰もいなかった。
「誰に言っても、信じてもらえないのですが」
セイさんは、懐かしそうに目を細めた。
その後も、虎猫たちはセイさんの家にやってきた。
だが、いつしか疎遠になってしまったという。
猫の平均寿命から考えると、今はもう生きていないだろう。
「そういえば、子猫に名前はありましたか」
「なかったわ。いま名づけるとしたら、スピカはどう?」
「......良い名前ですね」
スピカとは、春の夜空に輝く天体のことだ。
もし、猫が喋ったとしても。
きっとそれは、行ったことのない星のようなものだろう。
「前田くん、猫にはわりと甘いのね」
セイさんが、微かに笑った。