防衛省前のポプラは、どうして「ドンチッチ市ヶ谷店」って名前なの?
日本の国防を一手に担う、東京・市ヶ谷の防衛省。その大通りを挟んだ向かいに、一軒のコンビニエンスストアがある。その名も「ポプラ ドンチッチ市ヶ谷店」。ものものしい防衛省と対称的に、ホンワカした店名だ。
そもそも「ドンチッチ」ってなんだ。周囲を見回しても、そんな名前の施設はないが――。実はこの店名には、ある理由があった。話は16年前にさかのぼる。
番組企画で華々しくオープン
「ポプラ ドンチッチ市ヶ谷店」の開店は、2000年9月19日。その年の10月スタートの情報番組「年中夢中!コンビニ宴ス」(テレビ朝日)に連動する店舗、「ドンチッチ」としてオープンした。00年10月31日の朝日新聞夕刊によると、店名の由来は、番組放送時間である「土曜・7時(19時)」のもじりだそうだ。
コンビニでのオリジナル商品開発と、実店舗での販売をセットにした番組で、司会のみのもんたさんが「商品開発本部長」、タレントの大木凡人さんが「店長」。当時テレ朝アナウンサーだった、丸川珠代・五輪担当大臣も出演していた。
実はJタウンネットK記者、この番組をよく見ていた。放送で紹介された「パンの缶詰」を求めて、お店に行ったこともあるが、当時小学生だったこともあり、よく覚えていない。冬場にはスキー場に2号店を出していた記憶もあるが、ネットで調べてもあまり情報はなかった。
わずか半年で番組終了
当時の店員は、みな芸人と役者の卵たち。日刊スポーツ(00年12月8日)によると、8時間勤務の4班制で働き、給料は所属事務所に「出演料」として支払われる。記事には平泉成さんのモノマネで知られる末吉くん(48)をはじめ、総勢23人の氏名も載っていた。
しかし、放送開始から半年後の01年3月、番組は終了してしまう。ネットでは「スポンサーの競合商品を紹介したため打ち切られた」との情報もあるが、調べても詳細はよくわからなかった。しばらく看板はそのままだったが、いつのまにか「ポプラ」の標準的なものに架け替えられた。
では、番組終了から16年たった現在も、この店名で続いているのは、どうしてなのだろう。ポプラに理由を問い合わせると、
「お客様に馴染みがあり親しんで頂いている為でございます」
との回答があった。改名の予定があるか聞いてみると、「変更予定はございません」とのこと。これからも「ドンチッチ」は、防人たちの生活を支えていくようだ。