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四ツ谷駅は、なぜ「四谷駅」ではないのか? 「ツ」がつく理由を徹底検証

竹内 翔

竹内 翔

2016.09.11 11:00
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JRに問い合わせてみると...?

(最近近所の話ばかり書いているような気がするが)四ツ谷駅はJタウンネット編集部から徒歩5分ほど。最寄り駅の一つであり、日ごろ使っているメンバーも多い。とても馴染みのある駅だ。

近いのでこうして撮影にも来れちゃいます
近いのでこうして撮影にも来れちゃいます

「ツ」、なんで駅の名前だけ――T編集長は調査を開始した。

まず尋ねたのは、JR東日本だ。突拍子もない取材依頼に、相手も少し戸惑った様子だったが、数日後、東京支社の担当者から連絡があった。

「調べてみましたが、『ツ』がついている理由について、社内では正式な資料は見つかりませんでした。ですので、広報として正式な回答はできませんが――」

ただ、駅職員などが利用客に聞かれたときは、以下のように答えているという。

「『四谷』のことを知らないと、『よつや』とは読みにくいので、間に『ツ』を入れているのではないか、と......」
Untitled
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「東海道名所之内 四ツ谷」。1863年(文久3年)の浮世絵。当時の四谷の様子もうかがえる(国会図書館データベースより)
「東海道名所之内 四ツ谷」。1863年(文久3年)の浮世絵。当時の四谷の様子もうかがえる(国会図書館データベースより)

その後、明治になってからは1878年(明治11年)に「四谷区」が誕生し、以後「四谷」を使う傾向がだんだん強まっていくのだが、「四ツ谷」も依然強い。

たとえば1875年(明治8年)、この街に初めてできた小学校は「四ツ谷学校」(現在の四谷第一小学校。5年後に「四谷」に)。四谷区誕生直前に作られた素案(下調べ)でも、「四ツ谷区」という名前が使われている。1900年代の東京市(当時)の告示でも、「四ツ谷」という表記が混在していることが確認できる(以上、四谷区史などに引用されている文書を参照)。

実際、『新宿区町名誌』(新宿区教育委員会編、1976年)には、以下のような記載がある。

「『四ッ谷』は江戸時代から明治中ごろまで多く、明治末からは『四谷』が多い」
幕末~明治の浮世絵師・月岡芳年晩年の作品「新形三十六怪撰」より「四ツ谷怪談」(1892年(明治25年))。直接の地名ではないが、「四ツ谷」表記がこのころにも使われていたことがわかる
幕末~明治の浮世絵師・月岡芳年晩年の作品「新形三十六怪撰」より「四ツ谷怪談」(1892年(明治25年))。直接の地名ではないが、「四ツ谷」表記がこのころにも使われていたことがわかる

駅ができた当時は「ツ」が珍しくなかった
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