社民党本部の跡地、なんと警視庁庁舎に! 空き地と化した「三宅坂」の今
参院選や東京都知事選が近づき、永田町の動きが活発化している。しかし、その中心地に、かつて政治の舞台だった「空き地」がポッカリ残っているのは、あまり知られていない。社民党(旧社会党)の本部だった、社会文化会館の跡地だ。
2013年に取り壊されてから、すでに3年が経過しているが、跡地はいまどうなっているのか。Jタウンネット記者が、現場を歩いてきた。
解体から3年、ついに建設へ
社会文化会館は、東京オリンピック開催の1964年に完成した。その地名から「三宅坂」とも呼ばれ、高度経済成長から「おたかさんブーム」、55年体制の崩壊を経て、94年には自社さ連立政権で村山富市首相を輩出するなど、政治の舞台となっていた。
しかし東日本大震災後は、耐震性が疑問視され、2013年春に解体。党本部は、近くのビルに移転した。敷地はもともと国有地だったが、とくに新たな建物が建設されることもなく、それから3年ほどの時が流れている。
もっとも、最末期のビルは、見た目でもわかるほど老朽化していたようだ。姉妹サイト「J-CASTニュース」(2012年12月21日)の記者は、こんな感想を述べている。
「こんな建物が日本の中心にあって、しかも中で日常的に仕事をしている人がいる、ということに違和感を覚えるほどだ。耐震基準を満たしているかを考えるまでもなく、大地震がきたら建物自体が崩壊してもおかしくない――。そんな印象さえ受けた」
駐車場には、社民党の車が...
そんな跡地を訪れてみると、建築計画の看板が置かれていた。それによると、「警視庁永田町庁舎」が、16年6月1日に着工され、17年3月31日に完成する。訪問したのは6月6日だったが、まだ建築資材は置かれていなかった。
敷地横の駐車場には、社民党の街宣車が停まっていた。駐車場入口には、麹町署三宅坂派出所があるが、すでに閉鎖されているのか、扉やカーテンは閉ざされたまま。都心の一等地ながら、少し荒廃した印象を受ける。
わずか3年半の「仮庁舎」
永田町庁舎は、軽量鉄骨造(いわゆるプレハブ工法)で建てられる。だとすれば、長期にわたって庁舎が使われることはないのだろうか。調べてみると、手狭になった「国立公文書館」の移転候補地として、跡地利用が検討されていたとわかった。
移転計画は2案あり、A案が憲政記念館のある敷地、B案が会館跡地を含むエリア。16年5月26日にA案に内定したのだが、そのときの会議録に気になる一文があった。
「旧社会文化会館敷地は、平成三十二年まで警視庁の仮庁舎として使用されることとなっております」
内閣府の報告書によると、具体的には平成32年(2020年)9月ごろまで、仮庁舎が置かれるという。東京オリンピックの会期に合わせてか、仮庁舎はわずか3年半で、役割を終える予定だ。その後、この地はどうなるのだろう。早くも続報が気になる。