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82歳筆者が考える、「8050問題」...当事者として、必要な支援のあり方を思う

ぶらいおん

ぶらいおん

2016.05.31 11:00
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注目したい、所沢市の取り組み

   過日、『埼玉県戸田市のマンションの一室で、この部屋に住む54歳の長男と85歳の母親とみられる遺体が見つかり、将来を悲観した内容の遺書が残されていた。警察によれば、長男は無職、引きこもりがちで、母親が死亡した後、生活できなくなり、衰弱死した可能性もあるとみて調査している。』という趣旨のニュースが「テレ朝news」で短く報じられた(2016/04/23 17:28)。

   これだけなので、詳しいことは分からず、推察するしか無いのだが、この事件も、NHKの福祉関連番組「生きづらさを抱えるすべてのマイノリティー」の人たちにとっての"バリア"をなくすバリア フリー・バラエティー!『バリバラ』中で取り上げられた「8050問題」(2016年5月1日放送)の1事例と考えられる。

   そして、この「8050(あるいは7040)問題」とは、「ひきこもりの長期化などにより、本人と親が高齢化し、支援につながらないまま孤立してしまうこと」を言うらしい。

   『1980年代に「ひきこもり」が社会問題となったが、30年たった今、当時10代~20代だった人が40代~50代になり、親の世代が70代~80代と高齢化し、深刻な問題になっているのだ。

   今回、とりあげるのは、その中でも、精神障害のある子どもとその親の孤立化。精神的に追いつめられた子どもが親に暴力をふるったり、それに耐えかね、また将来を悲観した親が我が子を手にかけるといった事件は、近年、後を絶たない。名古屋市にある精神障害者の家族会では、「自分の息子なのに怖い」「近所の目もあるので、警察とか救急車は(呼べない)」「助けを求める場所がない」といった悲痛な声が。』(同上NHK「バリバラ」)

   また、番組の中では(この段落は筆者の記憶による)、70代~80代の親が40代~50代の子どもの暴力に耐えかねて、我が子を殺めてしまったケースと、40代~50代の子どもが、70代~80代の親の生命を奪ってしまった逆の具体例が紹介されていた。

   更に、一つの例として、以下のような具体的ケースも紹介されていた。

『支援につながることができず10年間、苦しんできたという家族がいる。35歳になるヒロミさんは、大学卒業後ピアノ教師として働いたが、うつ状態になり10年前からひきこもるようになった。次第にヒロミさんの状態は悪化、両親にもあたるようになる。それまで誰にも相談できず抱え込んできた両親は、わらにもすがる思いで保健所に相談したが、取り合ってもらえなかった。「死にたい」「殺して」と親に迫るヒロミさん。転機が訪れたのは去年10月。たまたま母親が出向いた精神障害者の家族会で、民間の訪問看護サービスがあることを知り、支援につながった。両親は「10年間、誰にも相談できなかった。とにかくほっとした」と語る。』

   その後、適切な相談者の助けを借りた一家には余裕が生まれ、ヒロミさんも、それまでは回避していたピアノと向き合えるようになり、両親もホッとした表情を見せていた。

   そのリポートを観て、番組中では、精神障害のある当事者や専門家も参加して、次のようなトークがされていた。

『江川「(親は)体力も落ちますから、子どもの暴力にもう対抗できなくなってきている」U.K.「子どもたちも、この年代になってくると、なかなか人生のリセットボタンが押せない。そういう選択肢すらないんですよね」 たにぐち「(暴力は)したくてやっているわけじゃないんですね。親が好きなんです。だからわかってほしいんですけど、わかってもらえない。伝えたいんですけど、言葉にできない」』

   実は、こういった問題は、当たり前のことだが、個々のケースで、具体的な条件が全く異なる。すなわち、子どもたちの精神障害の程度、その親たちの状況、つまり彼らの具体的な年齢、健康状態、経済的状態、精神的および肉体的能力、知識、経験etc.が千差万別である以上、一概に論じることは到底出来ない。

   実際に、このような問題を抱えた大多数の親子は、長い呻吟状態の末に我慢出来なくなって、多かれ少なかれ外部に対して助けを求めることも試みているようだ。にも拘わらず、それがうまく機能していないこともまた、番組の中で紹介されていた。

   そのような困難な状態の中で、行政のユニークな取り組みの1つとしてとして紹介されていたのが、<孤立する家族を救え!>という以下のような所沢市の例である。

『埼玉県所沢市は、去年10月、こうした福祉や医療につながれず孤立している人たちへのサポートを本格的にスタートさせた。看護師、作業療法士、精神保健福祉士、精神科医でチームを編成し、共同でサポートにあたる。これまで20人以上を支援につなげることができた。たとえば、8年前からひきこもっている統合失調症の男性の場合、まず看護師が訪問したが、医療関係者に対する不信感が強く、面会を拒否。そこで次に精神保健福祉士が同行し、ドアごしに会話をする中で男性は少しずつ心を開き始めた。そのほか作業療法士が中心にかかわり成果を上げているケースもある。

支援の目的は、精神障害者が地域で生活していけるようにすること。最も大切にしているのは、本人の意思を尊重しながらできることを増やしていくことだ』という。

   こうした多面的な支援の形態が有用であることが認められているので、全国各地の行政でも是非参考にして、そうした態勢を実現出来るようにして頂きたい、と考える。

   この「8050問題」は、実は筆者にとっても他人事では無い。自身同様な問題を抱えているのだが、それでも、筆者の場合は、或る意味で恵まれている方なのかも知れない。

   実は、冒頭の"テレ朝news"のケースに関連し、筆者の身辺で、「自分の死後、子どもはどうなるだろうか」といった不安の声などあれば、その辺りも含めて書けないだろうか、と本コラム担当編集者から提案されていた。

   間接的な知り合いではあるが、筆者の場合より深刻な状態にあるご家族の話も聞いている。しかし、敢えて筆者は自身のケースに触れることにする。現在82歳の筆者には、二人の子どもが居るが、その内の一人(50歳に近い)は医師より「発達障害により就労不可能」という診断が出され、現在無職で福祉関連の支援を受けて生活している。にも拘わらず、現在、地方在住の筆者とは同居していない。それは子ども本人の意向を第一に尊重しているのだが、下記の筆者が置かれている現状と必ずしも無関係では無いのかも知れない。

   その現状とは、一応、フリーランスの技術翻訳者の看板を掲げているとは言え、嘗ての賑わいは何処へやら、現在開店休業状態。全くの年金生活を続け、もう一人の我が子で、共働き、二人の中学生を抱える普通のサラリーマンの息子からの経済的支援の下、介護支援認定を受けた家人と同居しながら、特養入居中の104歳の母を定期的に訪ね、介護するという、将に典型的な下流老人の老々介護状態を意味する。

   "発達障害発症原因"にも、複雑な因果関係が存在するのであろうが、筆者の子どものケースでは、そもそも中学時代の、いわゆる登校拒否から引きこもりが始まった、と想像される。今になってみると、その時の親としての対応の仕方にも問題があったのかも知れない、と反省している。こういった場合、第三者に対し詳細にその状況を伝えることは至難であるが、その原因と結果は個々の事例により、またそれこそ千差万別であり、たとえば、筆者の例では今では珍しくなった三世代同居という環境も、3代のうち間に挟まれた2代目の、親であると同時に子でもある筆者の立場も微妙に影響していた可能性がある。

   つまり、筆者自身も昭和一桁生まれだから、先ず決められたことは守らねばならぬ、という(古いかも知れないが)原則に強く従おうとし、更に明治生まれ、旧薩摩藩下級武士の実家出身である筆者の母にしてみれば、「登校拒否なぞ、怠惰な態度以外の何ものでも無い」と信じ込み、筆者自身が母から「何故、登校拒否を認めているのか?」と批判されたこともある。その狭間で筆者がより柔軟な対応を採れなかったことも(言い訳では無いが)否定出来ない。今なら、別に学校に通うことだけが、勉学を全うする道では無い、と自信を持って言えるのだが...。

   また、親バカかも知れぬが、筆者の目から(医師の判断は別として)、我が子が一般的な能力に関し標準より特に劣っているようには見えない。だからこそ、また問題も起きる。見た目では直ちに異常は認められ無いし、一通りの礼儀作法などは弁えているので、本人をよく知らない人達から普通に接されると、緊張しすぎてうまく対応出来なかったりして、誤解される結果となることが多い。

   筆者とメールをやり取りすれば、文章能力は年の割には、むしろ同年配の人より優れているくらいで、一般社会でどうしようも無い程の、引けを取るとも思えない。ただ、対人関係は人並みでは無いようだ。その他にも、筆者からすれば「どうでもよいと思われるような、つまらないことに固執し続けたり、本人にも、それが詰まらないこだわりであることが分かっていながら、その事柄をうまく制御出来ず、ぐずぐずして居る内に、結局うまく処理出来なくなって、他人に迷惑を掛けたり、誤解されたりする事態が発生したりする。具体例を挙げれば、キリが無いので、これ以上は触れない。
   しかし、そういう状態がずっと続いているわけだから、親子と言っても双方の置かれたその時の状況で、起こってしまった厄介な事態を互いに呪いたくもなり、反発し合うことも、また当然ある。

   だが、幸いなことに、正直に言って、筆者が困惑しきった挙句、いらいらして腹立たしくなったりすることはあっても「この子を完全に排除したい」とか「早く死んで貰いたい」というような精神状態に追い込まれたことは全く無い。むしろ、我が子が少しでも人並みに、自分の出来る範囲で社会のために役立てるようになって欲しいし、何時までも健やかで、元気に毎日を送って欲しい、と願うのみである。

   そんな訳だから、筆者の場合は、前述したような、深刻で、不幸な事例に比べれば、非常に恵まれた部類に属する、と言えるのであろう。

   人間である以上、どんな親子でも「相手の死を願ったり、況してや手を下したりすることなど、本来はあり得ないことだ」

   ただ、筆者は自然の成り行きとして、此の世から先に去る筈の親の立場で、残った子どもの将来が心配であることは否定しない。何処の親でも子どものことを心から気に懸けるのは同じであろう。それでも、我々の場合は、第一に子ども本人の意向を尊重もしているのだが(医師の勧めに反し)敢えて別居している。今の内なら、子どもの一人暮しを、親として筆者が見守り、フォローすることも可能だから、と考えている。だから、現在は筆者が此の世から居なくなる前の予行演習に当たるのだ、と考え、その状態を続けて居る。
   それでも今、何とか成り立っているのは、ただ、ただ幸運としか言いようが無い。子どもや筆者の客観的状態が、もっと深刻な状態にあれば、そんな悠長なことは言っておれないに違いない。

   「親は子を心配し、子は親を信頼し、また歳取った親を労ろうとする」のは、言葉や態度であからさまに示さなくとも、自然な人間の本性である、と信ずる。それを自然に貫き通せないのは、その親子にとってこれ以上の不幸は無い。それを単純に、当事者である親子関係の在り方の問題であるとか、そういう親子関係を生み出す社会に問題があるとか、言うだけでは問題は解決に至らないであろう。
   矢張り、このような現状を広く受け入れ、あらゆる立場から支援しようという取り組みが肝要と思われる。

   従って、現実に起きており、呻吟して押し潰されそうになっている親子の8050問題に解決をもたらす方策を、上記の所沢市のような行政の取り組みを積極的に進めると同時に、問題の当事者だけに解決方法を押しつけるのでは無く、当事者以外(比較的恵まれている筆者のような当事者も含めて)の支援、協力が必須である、と信ずる所以である。

   最後に、番組出演者の脳性麻痺<玉木幸則のコレだけ言わせて!>の発言を紹介して、今回のコラムを閉じることにしよう。

「困っている原因の大元を見つけて応援するのが専門家」

   ふつう看護師とかドクターは医療保健の経由でしか動けない。けど、所沢はそこを省いて市の指示とお金で専門家が動ける仕組みをつくっている。それが、あの所沢の取り組みのすごいところ。画期的。だからと言って他の行政がただ専門家を集めたらいい、というわけじゃなくて。そのチームでなにをしていくのか? どこを目指すのか? それがないと、ただその仕組みを真似ても、ああいう動きはできない。これはけっこう深い問題で。主体は、困っている家族を助けること。困っている原因の大元を見つけて応援するのが専門家。そこは忘れたらあかんところ。
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筆者:ぶらいおん(詩人、フリーライター)

東京で生まれ育ち、青壮年を通じて暮らし、前期高齢者になって、父方ルーツ、万葉集ゆかりの当地へ居を移し、今は地域社会で細(ささ)やかに活動しながら、西方浄土に日々臨む後期高齢者、現在100歳を超える母を介護中。https://twitter.com/buraijoh
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