新宿駅の土地は誰のもの? 京王線ホーム端の「貸付票」めぐるミステリー
よくよく考えると、不思議な新宿駅南口の区画
それにしても、小田急電鉄の商業ビル・新宿ミロードや京王百貨店、甲州街道に囲まれたあの区画に、なぜJR東日本関連の建物がポツンと建っているのだろう。
さらに調べていくと、「京王電鉄まるごと探見」(JTBパブリッシング)に次のような記述を見つけた。
「電圧降下と車両の整備不良等により、京王線が終点の京王新宿まで運行できない事態を重く見た東急本社は、急遽運輸通信省と協議を行い、小田急線新宿駅西側の運輸通信省(国鉄)所有地に京王線を引き込んで応急的に京王線の新宿駅とすることにした」
「この用地は、関東大震災後に策定された新宿西口前の都市計画により、鉄道省新宿駅敷地の一部に編入されたもので、新宿への乗り入れを希望している東京横浜電鉄(編集部注:現在の東急東横線)の駅予定地として確保されている土地であった」
京王百貨店の建っている土地は現在、京王グループ所有となっている。
ということは、どこかのタイミングで京王線新宿駅の部分を譲渡し、角地は国鉄に残したと推察される。
ちなみに、国鉄が所有する前の大正時代は、商店や工場などがあったようだ。
京王線新宿駅が地下化されたのは1963年4月。当時の地下ホームは6両対応の2面4線で、1965年6月に都内初の冷房駅となるなど、先進的な施設を誇った。
しかしまもなく利用客数増に対応しきれなくなり、数回にわたってホームの長さを延長、1982年10月にほぼ現在の形になった。
当初は京王の敷地に収まっていたホームが、徐々にルミネ側にはみ出していったと思われる。
一方、ルミネ新宿1がオープンしたのは1976年3月のこと。「新宿駅100年のあゆみ」(日本国有鉄道新宿駅編)にはこう記されている。
「これまでの南口の乗換は複雑で不便な点が多かったが、連絡設備の拡充で、小田急、京王線からの連絡がスムーズになり、混雑緩和にも大きな役割をはたすことになった」
この2年半後、新線新宿駅ホームが供用開始される。1980年3月からは都営新宿線との直通運転が開始された。
ルミネ新宿1が乗り換えの拠点となることを見越して建設されたのだろう。
最後に。「家屋番号」30番1の登記簿情報を取得した。
そこに記されていたのは「木造かわらぶき2階建の店舗居宅」。大きさは小屋くらいで、ある女性の所有となっている。しかも所在は西新宿一丁目30番2。公図にそれらしき場所は見当たらない...。
次に「土地」の30番2を請求したところ、「該当なし」だった。
「不動産登記簿と現況は違っていることが多い」と大学時代に習ったことがあるが、まさにその通りだ。
新宿駅南口の権利関係の全貌を明らかにするどころか、謎はかえって深まる......。