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勘違いしてませんか? 茨城県民の日は「茨城県ができた日」じゃありません

Jタウンネット編集部

Jタウンネット編集部

2015.04.08 11:00
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全国で県民の日を設けている都道府県は21都県ある。長野県のようにオリンピック開催式が行われた日を県民の日とするケースもあるが、通常は県の誕生などに関係のある日が選ばれる。

茨城県民の日のポスター
茨城県民の日のポスター

埼玉と大分は14日なのに...

茨城県は11月13日を県民の日と定める。公立学校は休校で県施設も無料または割引となる。「みんなで茨城を満喫しよう!」という趣旨だ。多くの地元民は、「県民の日=茨城県が生まれた日」と認識していることだろう。

さて、2015年3月4日に公立高校入試が行われたが、社会科で茨城県民の日に関する問題が出題された。

次のI~IVは、明治のころの日本と茨城県に関するできごとについて述べたものである。年代の古い順にならべたものを、下のア~カの中から一つ選んで、その記号を書きなさい。
I 国会期成同盟が国会開設の請願書を政府に提出した。この請願書には茨城県からの参加者も署名した。
II 西南戦争がおき、茨城県から徴兵された兵士たちも参加した。
III 廃藩置県が行われ、全国に3 府302県が置かれた。同じ年の11月13日に、現在の茨城県の範囲は新治県、印旛県、茨城県の3つの県に統合された。
IV 第1回衆議院議員選挙が行われ、茨城県からは8人が当選した。

11月13日=茨城県民の日と覚えている人は難なく正答を導くことができただろう。ところが、この問題に対して異論が噴出した。
現在の茨城県の範囲を新治県・印旛県・茨城県に統合する太政官布告が発せられたのは11月13日ではなく14日だというのだ。

福岡市の全国入試問題研究会は4月3日、県教育庁の高校教育課に質問状を送っている。その指摘内容は次の通り。

「本設問の標準解答はオとなっています。しかし、IIIの記述に誤りがあります。現在の茨城県の範囲が新治県、印旛県、茨城県の3 つの県に統合されたのは、1871 年11 月13 日(以下、西暦省略)ではなく、11 月14 日です。そのため、IIIは史実とは異なる記述であり、設問文にある『明治のころの日本と茨城県に関するできごとについて述べたもの』とする前提が成り立ちません」

県民の日=県誕生の日ではなかった

実際、茨城県の県民の日を定める条例が公布・施行されたのは1968年のことだが、条文には県設立の日=県民の日とは一言も書いていない。

観光いばらきのウェブサイトにも、以下のように記載されている。

「明治維新後に進められた『廃藩置県』。統廃合が行われた1871年(明治4年)の11月13日に、はじめて『茨城県』という県名が用いられたそうです。(当時は、現在の茨城県域には『茨城県』『新治県』『印旛県』がありました)
明治元年から100年目の1968年(昭和43年)に制定された『県民の日を定める条例』により、この11月13日が『県民の日』と定められました」

全国入試問題研究会は茨城県立歴史館と県広報広聴課に対しても質問状を送っている。歴史館の回答によると、次の2点が「県民の日」制定の決め手になったようだ。
(1) 茨城県の初代参事、山岡高歩(山岡鉄舟)が着任したのが11月13日だった
(2) 毎年11月13日、県庁が開設された弘道館で功績表彰などを行っていた

また広報広聴課は上記(1)に加え、「1872年11月13日に初めて茨城県という名称が『明治史要 全』において用いられた」ことを挙げている。
新政府が編纂した国家史、明治史要の刊行が開始されたのは1876年以降のことだが、確かに11月13日と記されている。上記の観光いばらきの説明はこの説に拠ったものだろう。

明治史要(国会図書館ライブラリーより)
明治史要(国会図書館ライブラリーより)

このあたりの事情がいつしか忘れられてしまい、「県民の日=県が生まれた日」と思い込んでしまったことが、今回の出題ミス(?)の原因のようだ。
なお同時に誕生した埼玉県と大分県は11月14日を県民の日としている。

それにしても、IIIの文章を「同じ年の11月に」としておけば何の問題もなかったのに......。

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