美浜町の謎オブジェ「河童」の由来がじんと来る
[ドデスカ!-名古屋テレビ]2014年10月17日放送のニッポンど真ん中遺産のコーナーで、美浜町の謎のオブジェについて調査していました。
河童がなぜ海に?
東海地方の観光地として知られる、知多半島美浜町にはちょっと変わったオブジェがあるそうです。
やって来たのは名鉄の河和口駅。
そこにあったのは河童オブジェですが、本来河童は川に住んでいるはずでは?
しかもこちらの河童、手には鯛らしき物を持ち、貝の上に正座しています。そして甲羅には「花ちゃん 娘カッパと申します。」の文字が彫られています。
おまけにお尻から蛇口のような物も出ており、なんとも奇妙な河童です。
河童の像のすぐ後ろには、砂浜の続く海。一体なぜ海に河童がいるのでしょうか?
親子の河童?
知多半島の西側の野間海水浴場にも河童のオブジェがあり、こちらは貝の上に立った河童で「野間太郎 父ちゃんカッパ」の文字があります。
この二つは親子なのでしょうか?
もう少し調査してみると、美浜の中心部に「母ちゃんカッパ」もいるとのこと。
こちらは肩に壺らしき物を担いでおり、「ゆり子 母ちゃんカッパと申します。」と確かに彫られています。しかも胸に穴が開いていたりと、これまた変な河童の像です。
美浜町の海岸沿いでバラバラに発見された三体の河童の像、一体なんのためにつくられたのでしょうか?
河童のシャワー!?
河和港の観光センターで聞いてみると、河童に詳しいという「チームかっぱの家族」の皆さんにお話を伺うことができました。
そもそも河童の像はシャワー施設として作られたものだそうで、昭和31年に美浜町に初めて三つの海水浴場が誕生。
河童の親子は子供たちの安全を祈願して、海水浴場のシンボルとしてシャワー設備の上に設置されたとのこと。しかもこの河童の像、いろいろなところから水が出るそうで、母ちゃんカッパの胸の穴からも水がでていたそうです。
それがウケてたちまち大人気となり「かっぱの歌」や「かっぱ最中」も販売され、河童の親子は一躍美浜町の名物キャラクターとなり皆に愛されたとのこと。
河童の家族
しかし昭和34年に東海地方を襲った伊勢湾台風の被害により、河和の二つの海水浴場は廃止となりました。
大人気だった河童の母娘はその役目を終え、その場所にひっそりと残されました。
残った父ちゃんカッパも、大きな看板の後ろへ移動させられ、忘れられた存在に・・・。
しかし2年前に家族は一つでなくてはいけないと、新たな三人一緒の河童像が、美浜町の皆さんの寄付により作られたとのこと。
「家族はいつも一緒に。家族の和、河和の和。これが一番大事だと言うことを100年、1000年後の人に伝えていきたい」と、三体の謎の河童像は、家族の大切さを伝えるために新たな美浜のシンボルとして生まれ変わったそうです。(ライター:神谷祐美)