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千葉市の夢「100万人都市」は、このまま夢と終わるのか!?

Jタウンネット編集部

Jタウンネット編集部

2014.06.11 20:53
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千葉市の人口が初めて96万5000人台になったと発表された。市の統計課によると、2014年6月1日現在の推計人口が96万5006人となり、過去最多になった。

新築マンションへの入居が盛んな中央区、稲毛区で人口増が見られ、宅地開発が活発な緑区でも若い世代の転入が増えているようだ。

千葉市の地図(CraftMAPをもとに編集部が作成)
千葉市の地図(CraftMAPをもとに編集部が作成)

1992年4月1日に政令指定都市の仲間入りをし、かつては100万人都市も視野に入れていた千葉市。しかし、今年4月に市が発表した「人口の将来見通しについて」には次のように記されている。

当面の間、総人口は増加し、平成32年(2020年)に97万4千人に達した後、減少する見通しです。

つまり東京オリンピックが開催される2020年がピークで、それでも100万人には達しない。100万人まであと少しなのに...。100万人都市はどうやら夢と終るようだ。また2040年(平成52年)には87万人まで減少する見通しで、1999年頃の水準にまで後退するらしい。

また年齢区分別の人口で見ると、若い世代・生産年齢人口が減少するのに対して、高齢者の人口は増加する。2020年には、高齢者人口に占める75歳以上の人口の割合が過半数となる見込みだ。この見通しは総合政策局総合政策部政策企画課による。

幕張地区には空き地が目立つ

同市の特徴の一つとして、「東京からの自立度が高い」ことが挙げられる。首都圏の他の大都市に比べると東京に通勤する人の数が少ない。東京と同市を結ぶ鉄道網は1972年に総武線快速が東京駅に乗り入れるまで貧弱で、1969年に地下鉄東西線の開通した船橋市などと比べると東京のベッドタウンとしての色はやや薄い。

1989年に幕張メッセがオープンし、1990年に京葉線全線が開通して東京に至る新たなルートが開かれ、大手企業が相次いで幕張にオフィスを移転する動きを見せた。1992年には千葉ロッテマリーンズが本拠地を構えた。

しかしバブル経済崩壊で状況は一変した。幕張地区への企業移転は計画通りには進まず、現在も空き地が目立っている。美浜区の人口は伸びていない。2001年にイオングループの本社が同地に移転するなど好材料もあったのだが。最近のイオンモール幕張新都心のオープンは久々の明るい話題だった。

防風柵が追い風となるか?

東京との距離感や景気の低迷もさることながら、地形上の不利もある。JR総武線や京葉線は風に弱く、「しょっちゅう止まるから」という理由で埼玉や神奈川で持ち家を探すファミリーは少なくない。

2014年5月、JR東日本は総武線と京葉線で整備を進めてきた3カ所の防風柵の使用を開始すると発表した。これにより運転見合わせ時間はかなり減るという。この点が評価されれば転入者はもう少し増えるかもしれない。

千葉市の主要駅は千葉と蘇我の2駅。そのうち千葉は駅ビルの改修工事中。完成後の広さは従来の約2.5倍になる。駅周辺での再開発事業も進んでおり、これらが計画どおりに進んで市の魅力が増せば、100万人突破のラストチャンスかもしれない。駅ビルの竣工は2018年ごろ。そのときの評価が一つの分かれ目となるだろう。

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