意外なところにも!? 「近藤勇」ゆかりの歴史スポットをめぐる
NHK大河ドラマ「八重の桜」は、会津若松における壮絶な戦いがクライマックスを迎えています。会津戦争には新撰組の土方歳三や斎藤一も参加しましたが、新撰組局長・近藤勇はどうなったか、ご存じですか?
負傷で鳥羽伏見の戦いに参戦できなかった近藤勇は、江戸へ逃れて幕府再建のためひそかに活動していた矢先、新政府軍に捕らえられて1868年(慶応4年)4月25日、東京・板橋の刑場で処刑されました。会津戦争終結の約3か月前のこと、享年35歳でした。
近藤勇の墓は、あまり知られてはいませんが、東京都内にあります。JR埼京線の板橋駅東口から徒歩1分。首は京都に運ばれ、胴体はここに埋葬されたとされています。この供養塔は1876年(明治9年)、新撰組隊士の永倉新八が発起人となり建立されました。
近藤勇ゆかりの地は、彼の出身地の調布市にもあります。生家の宮川家の跡地には、勇の産湯に使った井戸が残っています。宮川家の菩提寺である龍源寺(三鷹市)にも「近藤勇の墓」があり、板橋で埋められた胴体を掘り出し、持ち帰って埋葬したと伝えられています。
京都の壬生寺は、近藤勇ら新撰組が滞在した郷士・八木邸の隣にあります。境内東方にある池の中の島は「壬生塚」と呼ばれ、近藤勇の遺髪塔や胸像、新撰組隊士の墓があります。「幕末歩き」には外せないスポットです。
さて、近藤勇の首は、はたしてどうなったのか? 京都から運び出し、埋葬して供養したと伝えられるお寺が愛知県にあると聞きます。近藤勇に限らず、幕末ゆかりの人物にまつわるスポットは全国にまだまだあるはず。あなたの地元の「幕末歩き」のコースを、ぜひ教えてください。