[ドデスカ!-名古屋テレビ]2015年2月27日放送のニッポンど真ん中遺産のコーナーで、信長に関する歴史的な発見を紹介していました。 謎多き信長 天正10年(1582年)6月2日、家臣の明智光秀の謀反により、本能寺の変で自害した織田信長。最期を含め、その生涯にはまだいくつかの謎が残っています。 今回の舞台は愛知県小牧市の小牧山、こちらで信長に関する歴史的な発見があったとのこと。 小牧山城は当時すでに尾張の国を統一していた信長が、美濃の国を攻略するため清須城から小牧山に移ったとされています。 案内していただいたのは、小牧市教育委員会の小野友記子さん。「まさか出てくるとは思わなかった」とおっしゃる新たな発見とは。 上空から見た現在の小牧山(上条ジョーさん撮影、Wikimedia Commmonsより) 小牧山から発掘されたものとは これまで簡単な砦程度と考えられていた小牧山城ですが、発掘調査で山頂部を囲うように石垣が発掘されました。 土に覆われていて調査に入る前には石垣はないと思われていたとのことですが、小牧市が10年にわたり続けている調査で城を囲う2段の石垣があることが判明。 しかし石垣がなぜ歴史的発見なのでしょうか?小野さんによれば「石垣は城につきものだと皆さん考えると思いますが、石垣の城は滋賀県の安土城が始まりだと言われています」とのこと。 安土城が築かれたのは1576年で小牧山城はその13年も前に築城されており、石垣が発掘されたことにより石垣の城は小牧山城が最初ということになります。 日本最古!石垣の城 信長が作った証拠としては、石垣の石材に信長の家臣で石垣づくりに携わったとされる「佐久間」の文字が墨で書かれているとのこと。しかも墨書で石垣に字を記したものでも、現在確認されている中では日本最古となるそうです。 さらに石垣に使われているのは花崗岩で、小牧山には自然に産出しない石が使われていることもわかりました。 小牧山から3kmしか離れていない、岩崎山は花崗岩が隆起してできた山で、徳川家康が名古屋城を築城した際に、石垣の石を切り出した場所とされています。石垣に適した花崗岩を信長はすでに使用していたことにもなります。 小牧城に込めた野望と理想 さらに2月12日の小牧市の発表によれば、高さ2mの3段目の石垣も発掘されました。 これによりかなり大きな範囲で、石を使った工事をおこなっていたこともわかり、小牧山城は安土城のように山全体が何段もの石垣に囲まれている可能性も出てきたそうです。 小牧市の調査では信長は何もなかった城の南側に、初めて計画的な街づくりを行った可能性も判明してきており、信長が小牧への首都移転計画ともいうべき壮大な計画を考えていたのではないかという新たな評価が生まれつつあるとのことでした。(ライター:神谷祐美)