京の和菓子屋で、夜道に現れた「何か」について聞いた話【ささや怪談】
京都駅から、バスで十分ほど。
中心部の繁華街をすこし外れると、ほっそりした小路がある。静かな道の奥から、砂糖醤油のタレの甘い匂いがする。それに釣られて歩くと、和菓子屋Kに出会う。
わたしは、ここの常連だ。一本ごとに焼きたてのみたらし団子が好きで、仕事帰りにいつも通っている。熱い団子を頬張るたびに、一日の疲れが薄くなってゆく。甘さは控えめ、自己主張はしない。けれど、しょうゆと餅の味が、しみじみと効いてくる。仕事疲れでぼんやりした頭を、スッキリさせる味だ。
和菓子は、クリームと砂糖をたっぷり使った菓子よりも、優しく出来ている。お腹にもたれないところも、好きだ。日本人は、米と豆の味から逃れられないのではと思う。
今日も、セイさんと店長が、団子を焼いている。店長は、カシュー・ナッツが大好きなロマンスグレーの偉丈夫。そして、セイさんは、いつも微笑みを絶やさない人だ。セイさんのトレードマークは、ショートカットの髪型と緑色のエプロンだ。そして、この店の人たちは、わたしが怪談を集めていることに対して、理解を示してくれている。
「昨日、前田くんが聞きたそうな話を聞いたわ」
「どんな話ですか?」
「この前、うちの姉が、変なもの見たって言うのよ」
わたしは、黒塗りの長椅子に腰掛けてから、黙ってつづきを聞く。もちろん、みたらし団子とほうじ茶を頼む事は忘れない。どちらも、さっぱりとした味で、スッと流れてゆく。焼きたてというのが、特にいい。冷たい団子には、冷たい団子ならではの良さもある。だが、焼きたての団子には、ささやかな幸せがある。
「あれはね、夜の二十三時ぐらい。姉が、散歩に出かけた時のことなんだけど」
Kという町でのことだった。
わたしも、写真で見たことがある。里山と自然に恵まれた、うつくしい場所だ。しかし、今は、どこにでもある町になろうとしている。
「真っ白くて大きなものがいたの」
夜道を歩いていると、道端の空き地で、何かがふわりふわりと浮かんでいた。
それは、白い気球のような形をしたものだった。2メートル近くの大きさで、丸い尻尾が付いていた。輪郭は、夜ということもあってか、ぼやけて見えたそうだ。
お姉さんは、そこで散歩を止めて、帰った。
「たぶん、水蒸気だと思ったみたい。排水溝から、湯気でも出てるのかなって思って。で、帰って布団に入ってから、やっと気づいたんだって」
「何にですか?」
わたしは、期待に胸を躍らせながら、質問をする。
「その空き地ね、宅地造成されたばかりで、石ころだらけの更地だったの。水蒸気なんか出てくる隙間もなかったんだって」
「妖怪だったら、面白そうですね」
セイさんは、スマートフォンを取り出して、お姉さんにメールを打ち始めた。
「不思議よね。もう少し、詳しく聞いて見るわ」
大通りを眺めると、行き交う人々の流れと言葉のやり取りで埋め尽くされている。それなのに、この小路はといえば、ほとんど人が入ってこない。ついうっかり入ってしまった人が、物珍しそうに歩いて回るぐらいだ。
「それで、その更地なんだけど。すぐ近くで、何年か前に、まだ若い男の子が運転中に、電柱にぶつかって亡くなったの。そういう土地だったって思い出して、余計に怖くなったんだって」
オーソドックスな怪談だ。
交通事故で亡くなった方の幽霊が、忘れないで欲しくて現れる。
「だから、姉が見たのは、男の子の幽霊だと思うの。きっと。幽霊だって、人間よ。言いたいことがいっぱいあるはずよ」
それにしては、ずいぶん可愛らしい姿の幽霊だ。
わたしは、気分を落ち着ける為に、暖かいほうじ茶を飲んだ。口の中に残っていた後味が、すうっと去ってゆく。その時、セイさんのスマートフォンが、鳴った。
メールらしい。
セイさんが、画面を一瞥した。
「前田くん。あのね、違ってたみたい」
「えっ?」
「里山の動物だったんだって。あの辺りを開発した時に亡くなった動物たちの幽霊だったって。人間じゃなくて、動物たちの影がいっぱい集まってできた雪だるまみたいな」
どう答えたら、良かったのだろう。
証言ひとつで、どこまでも話が変わってゆく。
「そんなことも、あるんですね」
わたしは、戸惑いを隠さなかった。それに、妖怪が出て来る話なら、それもまた面白い。
「いま、ガッカリしたでしょう。動物の幽霊なら、大したことないとかなんとかって、ちょっと気が抜けたんじゃない。気持ち悪い幽霊が出ないから、怖くないとか」
「そんなことはないです。大丈夫です」
セイさんは、穏やかに微笑みながら、話を続ける。
「怪談はね、怖いだけが役目じゃないの。動物たちの犠牲だって、あっさり忘れていいわけがないわ。すみかを追い出されて飢え死にした動物だって、好きで死んだわけじゃないから。だから、そういう声を伝えるのも、語る人の使命なんじゃない。私はそう思う」
きっぱりと、断言した。
もっともだ。
怪談だって、忘れられたものの声を、語り継げる。
声なき声。
失われた物語。
ちょっと待てよ。
この話の時系列は、どっちが先だ。里山の工事が先で、交通事故が後で。どちらも本当に起きたことだとしたら。もしも、交通事故の原因が、そういったものだとしたら。
勝手な空想だけが、どんどん膨れ上がってくる。
どんなものにも、爪と牙がある。この話の教訓のひとつは、そういうことだ。
だから、そういうことが起きていたとしても、不思議なことは何もない。なにせ、確かめようがない。わたしは、かつて起きたかもしれないことを、静かに想像する。
セイさんと店長はといえば、店の奥でみたらし団子を焼き始めた。小路を通る人たちが、団子を焼く匂いに誘われて、店の前を興味深げに眺めてゆく。
わたしは、ぼんやりと足元を眺めていた。すると、道端に並べられた小さな鳥居が目に飛び込んできた。京都の人たちは、こういった鳥居に対して、いまでも敬意を払っている。
生真面目なほどに。
わたしは、鳥居たちに向けて、心の中で語りかけた。
「おまえには、どんな物語があるんだ?」
