「あの時、小学校に連絡していれば」 40年以上経った今も残る感謝と後悔(茨城県・40代男性)
茨城県在住の40代男性・Nさんが忘れられないのは、5歳ごろのできごと。
ある日、誰よりも早く保育所に着いた彼は、どんどん寂しくなってしまって......。
<Nさんからのおたより>
私が保育所に通っていた4〜5歳の頃の出来事です。
友達との間で、誰よりも朝早くに保育所に行く早朝登園ブームがありました。両親にも協力してもらい早く行くのですが、なかなか一番にはなれませんでした。
そうしてだんだんエスカレートしていって、何回目かの朝に、かなり早い時間に保育所につくことができました。まだ先生も来ていない時間帯だったはずです。
小学生のお姉さんが...
「やったー!」と喜んでうきうきしていましたが、あまりに早すぎたため、しばらく待っても誰も来ません。
だんだん心細くなってきました。
そして、「心細い」が「さみしい」になり、「悲しい」になったころ、私は誰もいない保育所の園庭でひとりシクシクと泣き出しました。
その保育所のすぐ近くに小学校があり、園庭は小学生の通学路にもなっていました。
喜んで誰よりも早く登園したのに、さみしくなって園庭で泣いていた私に、「どうしたの?」とやさしく声を掛けてくれた小学校高学年のお姉さんがいました。自分を気遣ってくれるひとが現れたことがとてもホッとしたのを覚えています。
泣いている私の事情を聞いてくれて、いっしょに居てくれました。私がどんなに心強かったことか。どんなにホッとしたことか。
その後、保育園児が一人登園しました。「ほら、お友達来たよ!」といってくれましたが、私は「知らない子......」とぐずり、小学生のお姉さんは少し困った顔をしていました。
その間、小学生のお姉さんの友達が何人も通っていきなにか声を掛けたりしていったようです。「○○ちゃん、なにしてんの?学校遅れるよ〜」というような会話だったと思います。
何度か小学校に行こうとするお姉さんでしたが、一緒に居たい私が引き止めるという時間が続きました。お姉さんは辛抱強く私のそばに居てくれ、園児が何人か登園した頃だったでしょうか、小学校が始まるギリギリだったのでしょう、お姉さんが「もうどうしても行かないと行けないんだ、ごめんね」と言って、引き止める私を何度も振り返りながら慌てて小学校に行きました。
今思うと、きっと小学校のチャイムが聞こえて慌てて行ったのかもしれません。おそらく遅刻だったと思います。そこまで付き合ってくれたのでした。
そんなことがあり、早朝登園ブームは終了しましたが、遅刻させてしまったお姉さんにはきちんとお礼もお詫びもできませんでした。
両親も、「あのとき小学校に連絡していれば、そのお姉さんも遅刻の汚名を返上できたし、よいことをしたと褒められたかもしれない。申し訳なかった」と話しています。
名前も知らないお姉さん。いまは50でしょうか。そんな出来事を覚えているでしょうか。
あのときは甘えさせてもらって本当にありがとうございました。お礼もできずごめんなさい。
あなたのやさしさは、こうして40年以上たった今も、私の心のなかの大事な思い出となっています。ありがとうございました。
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