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桜大仏で人気の壷坂寺は清少納言の「推し寺」だった 道長や一条天皇とも...「光る君へ」登場人物とのゆかり

松葉 純一

松葉 純一

2024.04.21 18:00
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2024年4月、例年に比べて遅かった桜の開花も、一気に日本全国で満開となり、今や列島を北上中だ。

読者の皆さんは、もうお花見を楽しまれただろうか。それとも、これから?

Jタウンネット記者が今年の桜で印象的だったのは、「桜大仏」だ。

ご存じだろうか? 満開の桜の中から大仏様が顔を出す、という非常にユニークな景色である。

「桜大仏」(壷阪寺公式アカウントの投稿より)
「桜大仏」(壷阪寺公式アカウントの投稿より)

これは、奈良県中部・高取町にある古刹「壷阪寺」の公式Xアカウントが2024年4月5日に投稿した写真。

この日、桜は満開だったようだ。「桜の衣を着られてるというより、桜の泡に埋もれている様になってきました」というコメントも添えられていた。

この投稿にはX上で4600件を超える「いいね」が付けられ(4月17日時点)、こんな声が寄せられていた。

「大仏様も桜を満喫でお幸せでしょう」
「桜のお風呂入ってるね」
「桜の泡に埋もれています」
「みんなこの姿を拝みたいんですよね!」

「桜大仏」というと、近畿地方では大変に有名で、今年も多くの参拝者で賑わったという。ただ、他地方では「知らなかった」という人もけっこう多いかもしれない。

「壷阪寺」ってどんなところ? なぜ大仏があるの? 気になった読者もいるだろう。少し調べてみると、なんとも興味深い事実に......気づくことになる。さすがに奈良は奥が深い。

日印交流の御縁で生まれた大仏

「壷阪寺」は大和三山奈良盆地を一望におさめる壷阪の山に建つ真言宗の寺。西国三十三所観音霊場の第六番札所で、創建は703(大宝3)年と伝えられている。

本尊は、十一面千手観世音菩薩。眼病に霊験あらたかな観音様として全国各地から参拝者が訪れるという。

「桜大仏」で話題の「大仏」は、どんなきっかけで安置されることになったのか。壷阪寺の広報担当者は次のように答えた。

「1960年代インドでのハンセン病患者救済事業への支援協力に携わらせて頂いたことからインド国内各地において、たくさんのご縁を頂戴し、現地の学校運営助成事業や奨学金事業等の教育支援をはじめ、地域開発支援など様々な国際交流を展開しています」
「桜大仏と言われている大釈迦如来石像は、このような日印交流の御縁によりご招来されました」(「壷阪寺」広報担当者)

桜に包まれるような姿が注目を浴びたが、他の季節も美しい姿を見せる。

「新緑大仏」(壷阪寺公式アカウントの投稿より)
「新緑大仏」(壷阪寺公式アカウントの投稿より)
「桜の散り始めとともに、3000株の山吹が咲き出し、続いて本堂周辺につつじが咲き誇り、堂塔伽藍を色づかせます」
「また、5月には境内が新緑に染まり、桜大仏から新緑大仏に衣替えされます」
「6月になると大仏像周辺に紫陽花の鉢植えを荘厳し、紫陽花大仏としてSNS等でも多くの方にご紹介頂いています」
「秋は紅葉が色づき、山寺独特の色鮮やかな景色が広がります」(「壷阪寺」広報担当者)

そして冬には真っ白な雪をかぶった「雪見大仏」にもなることも。

「雪見大仏」(壷阪寺公式アカウントの投稿より)
「雪見大仏」(壷阪寺公式アカウントの投稿より)

つまりここでは、四季折々の大仏の姿が、境内の堂塔伽藍や石仏群と共に楽しめるということらしい。

清少納言の「推し寺」です

ところで読者は、NHK大河ドラマ「光る君へ」をご覧になっているだろうか。

ファーストサマーウイカさんが演ずる清少納言が登場し、その不思議な個性と存在感があまりにも鮮やかで、思わず惹きつけられた人も多いだろう。

そんな清少納言が「枕草子」の中で霊験あらたかな寺の筆頭に挙げているのが、壷阪寺だ。

「寺は壷阪、笠置、法輪...」と、称賛しているのである。壷阪寺の広報担当者は誇らしげに語る。

「今風で言うと『推しの寺』として壷阪寺をご紹介していただいています」
「紫陽花大仏」(壷阪寺公式アカウントの投稿より)
「紫陽花大仏」(壷阪寺公式アカウントの投稿より)

平安時代は、壺阪寺が興隆期を迎えた時期。36の御堂と60以上の坊舎が存立していたと記録されているという。

このころ長谷寺と共に定額寺(じょうがくじ、国分僧寺・国分尼寺の次に位置付けられた寺院)の格に列せられたことで、都から多くの貴族や庶民がさらに盛んに参拝するようになったそう。

「一条天皇の眼病平癒祈願を壷阪寺で行われたと記録もあり、中宮定子に仕えていた清少納言が、壷阪寺の観音様の霊験に感銘を受け、枕草子に著したのではとも言われています。
またその反対に、清少納言が一条天皇の祈願に壷阪寺をすすめたのかもしれません」(広報担当者)

担当者によると、平安時代初期の説話集「日本感霊録」に、盲目の沙弥が壺阪観音の信仰で開眼治癒したという話が入っている。すでにこの頃から本尊の十一面千手観音は民間の信仰を集めていたらしい。

「これは後世のいわゆる盲人開眼『壺坂霊験記』の原型になったものであると言われています」(広報担当者)

藤原道長も宿泊した!?

さらに、「光る君へ」の主要な登場人物の一人である藤原道長も、吉野参詣の途中に壷阪寺に宿泊したという記録が残っている。

道長の吉野参詣の目的地は、奈良県南部の吉野山に位置する金峯山寺だった。平安時代、金峯山は山岳信仰(修験道)、真言密教、末法思想、浄土信仰などが融合して信仰を集め、皇族、貴族などの参詣が相次いだのだ。

「当時、金峯山は弥勒菩薩が生まれる場所であり、登れば願いが達成できると信じられていました」と、広報担当者。

藤原道長が著した「御堂関白記」には、吉野参詣行程が次のように記されている。

寛弘4(1007)年
8月2日  出立
8月3日  大安寺(奈良市)に宿す。
8月4日  井外堂(天理市二階堂か)に宿す。
8月5日  軽寺(橿原市大軽町か)に宿す。
8月6日  壷阪寺(高市郡高取町)に宿す。
8月7日  観覚寺、現光寺(吉野郡大淀町の比蘇寺か)を経て、野極(金峯山寺周辺か)に宿す。
8月8日  終日雨で留まる。
8月9日  登山にかかり、宝塔(吉野山の西行庵付近か)で昼食、祇園に宿す。
8月10日 山上御在所の僧坊金照房に到着。
8月11日 供養法要を行う。
8月12日 下山
8月14日 平安京に帰京

往復12日もかかる旅程だったという。壷阪寺には4日目に宿泊したようだ。

そして吉野参詣の翌年、1008年9月に一条天皇に入内した娘・彰子が淳成親王を出産した。待望の孫皇子誕生だった。

大仏周辺の桜が散った後は山吹や八重桜が見ごろに
大仏周辺の桜が散った後は山吹や八重桜が見ごろに

――と、こんな風に「光る君へ」の登場人物たちと深いゆかりがある壷阪寺。

「桜大仏」の時季は過ぎてしまったが、華やかな季節は続いているという。

「新緑大仏」や「紫陽花大仏」の頃、訪れてみたいものだ。「紅葉大仏」もいいなあ。

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