「すこし視界が滲んでしまいました」 非公開だった「幻の近代建築」と夢の邂逅...下関市「長府苑」の美しき西洋館
山口県下関市で"幻の近代建築"を見た――。
2024年3月22日、X(旧ツイッター)にそんな報告が投稿された。
その日、投稿者・「腹よわボーイ」(@nori7770)さんが目にしたのは「旧田中隆邸 西洋館」。
ポストによると、未完のまま廃屋と化した建物で、腹よわボーイさんは「感動で涙出ちゃった」らしい。
植物に取り込まれそうになっているレンガ造りの美しい建物の姿にXユーザーの心も打たれた。6000件を超える「いいね」(3月26日時点)の他、「素晴らしい」「何ともおしゃれで美しい」「元の姿も美しいですが、今の姿も芸術的ですね!」といった声が寄せられている。
しかし、これはどういった由来を持つ建築物なのだろう。"幻の近代建築"とはいったい?
完成間近に新築のまま廃墟と化した西洋館
下関市の公式サイトに掲載されている資料によると、田中隆氏は第一次世界大戦時に海運業で財をなし、中国の革命家・孫文に資金援助をしたことで知られる下関の豪商。1925年、市内の長府黒門町の広大な敷地に木造瓦葺の日本家屋を新築し、この場所は「長府苑」と呼ばれた。
投稿者・腹よわボーイさんが紹介したのは、その日本家屋と同時に作られていた洋館だ。
神戸市にある国指定重要文化財「旧ハッサム住宅」の設計者である英国人建築家アレキサンダー・ネルソン・ハンセル氏に依頼したものだったが、大恐慌による経営悪化で内装に取り掛かる寸前で工事中断。その後43年に工事の再開を試みたものの完成に至らず、そのまま廃屋になった。
そして朽廃のために80年に解体されることとなり、1階の周壁部分のみが保存されていたという。
この建物がなぜ"幻"か。それは、この場所が長らく民間所有地で、一般には非公開だったからだ。
ずっと見たかった建物を前に滲んだ視界
日本家屋「長府苑」と洋館は田中隆氏、長府船渠の手を経て、51年に三菱重工の下関造船所の所有に。
下関市在住の投稿者・腹よわボーイさんは近代建築などが好きで、地元・下関にこのような建物があることは知っていた。「やまぐち建築ノート」(マツノ書店)掲載の写真を眺めたり、下関出身の作家・古川薫氏の「海と西洋館」を読んだりして、完成間近に新築のまま廃墟と化したエフェメラルな(はかない)雰囲気に思いを馳せていたのだと語る。
「非公開だったため見ることは難しく......いつか見てみたいと思ってた」(腹よわボーイさん)
腹よわボーイさんの願いが叶ったのは、2023年秋に下関市がこの場所を取得したから。長府の歴史・文化と調和した街並みを保全することが、第一の目的だ。
24年3月22~24日には見学会が行われ、腹よわボーイさんは22日に参加。天気のいい日で、多くの人で賑わっていたという。
「見学会に来られた他のお客さんは、まずは和風建築の方へ入っていかれる方が多かったですが、私は迷うこと無く西洋館跡に向かいぐるぐると回っては、写真を撮ったり、感嘆の声を漏らしたりしていたので、多少奇異に見えたかもしれません(笑)」
「大きな門をくぐっても家屋は見えず、木立の間をしばらく歩くと純和風建築と西洋館跡が見えてくるのですが、ずっとこの目で見たかった建物を目の当たりにして、すこし視界が滲んでしまいました」(腹よわボーイさん)
なおJタウンネット記者が、下関市役所都市整備部公園緑地課に問い合わせたところ、今後の見学会については現在検討中で、まだ決まっていないとのことだった。
建築好き、廃墟好きな読者は、今後、下関市役所の情報も、要チェックかもしれない。