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あなたが知らない「絵の具職人」の1日 8時間ずっと、同じ色を見つめ続けて...

横田 絢

横田 絢

2020.01.18 08:00
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最初の「純国産絵の具」を作った月光荘

話を聞かせてくれたのは、月光荘画材店店主の日比康造さんと、映像に映っている職人の鈴木竜矢さん。

同店は、1917年に創業し、1940年に純国産の絵の具を初めて誕生させた画材店。創業当初は、海外から輸入した材料を練り合わせて絵の具を作っていたため、絵の具の質は届いた材料の質次第だった、と日比さん。

「絵の具の粉と、それをキャンバスや紙にくっつけるための、バインダーという糊状のものと練り合わせることで、水彩絵の具になったり、油絵の具になったり、アクリル絵の具になったりするんです。
(創業当時は)輸入した粉が劣悪であれば、劣悪な絵の具しかできなかった。それが日本の画家たちが苦しんでいたところです。
そこで、月光荘画材店は日本で最初に、粉から絵の具を作っていったんです。
一から鉱物を焼いたり、他の薬品を練り合わせたりしながら、いろんな粉を開発していって、それを見よう見まねで手ですりつぶしてみたり、ローラーにかけてみたりというのを経て、今の絵の具作りの礎を築いていきました」(日比さん)
国産の青い絵の具「コバルト・ブルー」誕生を喜ぶ画家たちの寄せ書き
国産の青い絵の具「コバルト・ブルー」誕生を喜ぶ画家たちの寄せ書き

日比さんによると、戦争で海外から絵の具や材料が輸入できなくなった時も、純国産の絵の具の開発に成功した月光荘だけは絵の具を製造することができた。

「戦争中に描かれた洋画っていうのは、ほとんど月光荘の絵の具で描かれている」

と日比さんは話す。猪熊弦一郎、梅原龍三郎、宮本三郎、藤田嗣治ら著名な画家も月光荘の絵の具を使っていたそうだ。

戦時中の絵の具
戦時中の絵の具

ところで今日では、月光荘以外にも絵の具を販売している企業はいくつもあるし、100円ショップでも絵の具を入手することができる。そんな中で、月光荘はどんなところにこだわって絵の具を作っているのだろうか。日比さんに尋ねてみると、

「コンビニにもご飯があります。美味しくて、お腹いっぱいになりますよね。でも、同じお腹いっぱいになるので、1食5万円のレストランもある、料亭に行って10万円っていう場合もある。
100円ショップにも絵の具は売ってるし、月光荘のように1本1000円を超える絵の具を売ってるところもあるというのは、コンビニにもご飯はあるし、10万円のご飯もあるというのと一緒で、良い悪いじゃなくて、お客様がその時の求めるクオリティに、どのように応えるかということなんです。
月光荘が取り組んでいるのは、その場でだけかければ良い、というのではなくて、できるだけ長く品質良く保てる絵の具を作ること。パレットに色を出した時に、胸が踊りワクワクすること。世界のどの絵の具やさんと比べても、胸を張ってご提供できる品質のものを作ること。
そして、本物に触れたいという人が現れた時に、ちゃんと本物はここにありますよ、と言える店でありたい」(日比さん)

日比さんは、ツイッターに絵の具作りの映像をアップすることで、このこだわりを伝えようとした。

「絵は、絵描きさんの『絵を描きたい』という思いからスタートする。それをどうにか具現化するために絵の具屋、筆屋、キャンバス屋...画材屋がいる。
僕ら(画材屋)は、絵描きさんの思いに応えるためにあるけれども、それは同時に鑑賞者のためでもあります。
描くときはよかったけれども、半年経ったら色が変わっちゃったとか、1年経ったらはがれちゃったとか、それは責任を果たしていないよね、と。
絵描きの気持ちに応えて、見てくれる人に対しても責任を果たす。それが、月光荘が創業以来ずっと大切に胸に刻んでいる100年の約束なんだ、という意味で動画を投稿しました」(日比さん)
1日8時間、同じ色の絵の具をつくり続ける
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