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江戸時代の大阪人は、ドブネズミに母乳をあげていたらしい

横田 絢

横田 絢

2020.01.01 06:00
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「ドブネズミ」と聞いて想像するのはどんなネズミだろう。

夜の繁華街を走り回る、あまりかわいいとは言えないネズミを思い浮かべた人も少なくないのではなかろうか。

そんなドブネズミ、実は江戸時代にはペットとして可愛がられていたようだ。

ネズミ屋を描いた挿絵。ねずみを追いかける子どもやネズミと手にのせて遊ぶ店主(国立国会図書館デジタルアーカイブより)
ネズミ屋を描いた挿絵。ねずみを追いかける子どもやネズミと手にのせて遊ぶ店主(国立国会図書館デジタルアーカイブより)

東京農業大学農学部の庫本(くらもと)高志教授は、2011年1月、1775年に発行された書籍「養鼠玉のかけはし(ようそたまのかけはし)」を解説する総説「Yoso-Tama-No-Kakehashi; The first Japanese guidebook on raising rats.」を発表した(発表当時は京都大学大学院医学研究科准教授)。

庫本教授によると、江戸時代の明和年間(1764~1771年)、ペットとしてネズミを育てる趣味が大坂ではやり始めた。その流行の中で発行されたネズミ飼育のためのガイドブックの1つが「養鼠玉のかけはし」だ。

ネズミという言葉だけではそれがどんなネズミを指すかわからないが、庫本教授は本文中の表記から、ドブネズミについてのガイドブックであると分析している。

交配を重ね、毛色の美しさを競った

2019年12月25日、Jタウンネット編集部が庫本教授に取材したところ、「養鼠玉のかけはし」の「玉」とは宝物のこと。「珍しいネズミを育てるための手引き」といった意味だそうだ。

江戸時代のドブネズミ愛好家たちは、ドブネズミを交配させ、誰も見たことがないような珍しい色や模様の個体を繁殖させようとしていたという。珍しい色とは、「白」「玉子色」「藤色」などで、珍しい模様とはまだら模様の「斑」、ツキノワグマのように胸にラインが入った「熊斑」、色がぱっきりと分かれた「はちわれ」などだ。

庫本教授は、「養鼠玉のかけはし」は、愛好家たちが繁殖させたドブネズミや飼育方法を、著者である「春帆堂主人」(本名不明)が取りまとめたものだと考えているという。

さまざまな毛色のドブネズミたち(国立国会図書館デジタルアーカイブより)
さまざまな毛色のドブネズミたち(国立国会図書館デジタルアーカイブより)

現代も同様の模様のネズミがいる(画像は庫本教授提供)
現代も同様の模様のネズミがいる(画像は庫本教授提供)

庫本教授が発表した総説によると、「養鼠玉のかけはし」で描かれるネズミは「小さく、ウサギのような体と毛のない尻尾を持つ」動物で、「口ひげは長く、目は飛び出ている」(原文は英語のため、引用部は編集部の訳、以下同)。

ネズミとは別に「のらこ」という動物も同書に登場し、それはハツカネズミを指すそうだ。「ネズミよりも小さく、最大で6センチほど。(中略)別名は、『はつか』でこれは『わずか』という意味である」と養鼠玉のかけはしでは説明されているという。

このことから庫本教授は、江戸時代の人々が「のらこ」(=ハツカネズミ)と「ネズミ」(=ドブネズミ)を区別しており、養鼠玉のかけはしはドブネズミについてのガイドブックであると判断している。

総説によると、養鼠玉のかけはしにはネズミの飼育方法として、どんな設備でネズミを育てればよいか、餌には何を与えればよいか交配させるにはどうすればよいか、病気になった時にはどうすればよいかなどがまとめられている。

例えば、江戸時代のドブネズミ愛好家たちが、餌として与えていたのは米や餅、生魚、生野菜など。

「魚を与え過ぎると毛色が悪くなる。大豆を与えると毛色が良くなる」

といったことも紹介されているという。

また、ネズミ同士を交配させて生まれた子ネズミは、離乳までは母ネズミの母乳で育てていたようだが、母ネズミがいない場合は

「頻繁にあたため、水で溶いたらくがんを与える。人の乳を与えてもよい」

とも書かれているそうだ

人間の母乳を与えていたとは衝撃だ。江戸時代の人々は、ネズミをまさに玉のようにかわいがっていたのかもしれない。

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