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新1万円札の愛称は「栄ちゃん」に!? 地元・深谷市民は大興奮、ご当地キャラも「うれしすぎ」

松葉 純一

松葉 純一

2019.04.09 17:07
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深谷駅(Fillerさん撮影、Wikimedia Commonsより)
深谷駅(Fillerさん撮影、Wikimedia Commonsより)

政府は2019年4月9日午前、1万円、5000円、1000円の各紙幣(日本銀行券)を刷新すると発表した。新しい1万円札の肖像画に、近代日本の資本主義の父と言われている渋沢栄一が採用されるということで、その出身地である埼玉県深谷市が一躍脚光を浴びている。

ツイッターには、深谷市民や埼玉県民から次のような声が寄せられている。

   「やったぁ! 深谷市郷土の偉人『渋沢栄一』が新一万円札に決まった」
「深谷市の歓喜の声が聞こえる」
「深谷では渋沢えいちゃんって呼ばれて親しまれてる」
「えいちゃん、、!深谷の偉人ではないか」

「諭吉じゃなくて栄ちゃんて呼ぶんかな」

地元のイメージキャラクター「ふっかちゃん」も、興奮気味に反応だ。

また、こんなツイートも......。

「皆さん、これまで一万円札を『諭吉(ゆきち) 』と呼んでた人もいたかもしれませんが、これからは『栄ちゃん』と呼んでみてはいかが?」
「これからは1万円札を諭吉じゃなくて栄ちゃんて呼ぶんかな」
「諭吉じゃなくなるなぁ~次は栄ちゃんだ~、栄ちゃんだ~って喜ぶのかな」

「えいちゃん」と呼ばれ、親しまれているという渋沢栄一、その出身地である深谷市とはいったいどんなところだろう。Jタウンネット編集部がさっそく調べてみた。

渋沢栄一生家(Abasaaさん撮影、Wikimedia Commonsより)
渋沢栄一生家(Abasaaさん撮影、Wikimedia Commonsより)

渋沢栄一は、1840年、武蔵国榛沢郡血洗島(ちあらいじま)村に生まれた。「血洗島」と聞くと、ギョッとするかもしれないが、その由来は、「赤城の山霊が戦で片腕に傷を負い、傷口をこの地で洗った」という伝説など、諸説あるようだ。

渋沢家は、米、麦、野菜の生産の他、藍玉の製造販売、養蚕などを手がける豪農だったという。栄一は、幼少から四書五経など学問を学び、また剣術も修得するという文武両道の少年時代を、この地で過ごしている。

深谷駅には、渋沢栄一像も

渋沢栄一肖像写真(Wikimedia Commonsより)
渋沢栄一肖像写真(Wikimedia Commonsより)

栄一が飛躍するきっかけは、一橋慶喜(後の江戸幕府15代将軍・徳川慶喜)に仕えたこと。1867年、パリ万国博覧会の随員としてフランスへ渡航、パリ万博を視察後、ヨーロッパ各国を訪問し、西欧文明と語学を懸命に学んだという。

明治維新後は新政府に勤め、銀行制度の調査立案を担当。その後、第一国立銀行(現みずほ銀行)、東京瓦斯、東京海上火災保険、王子製紙(現王子製紙・日本製紙)、田園都市(現東京急行電鉄)、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビールなど約500社の設立に関わることに......。「日本の資本主義の父」と呼ばれるのはそのためだ。

現在の深谷市は、埼玉県北部にある人口約14万人の市だ。深谷市を訪れると、いたるところで「渋沢栄一」の名前を目にする。

冒頭に掲載した深谷駅の写真でもお分かりのとおり、深谷駅駅舎は東京駅の赤レンガ駅舎そっくりのデザインだ。これは、深谷にあった旧日本煉瓦製造で作られた煉瓦が、東京駅まで鉄道輸送され、東京駅の建築の資材として使われたという史実にちなんでいる。もちろん旧日本煉瓦製造会社の設立にも、渋沢が大きく貢献したことは言うまでもない。深谷駅北口には、渋沢の像が鎮座する。

新1万円札の裏面には、東京駅丸の内駅舎がデザインされるというが、渋沢にちなんでの選択かもしれない。

渋沢栄一記念館(Abasaaさん撮影、Wikimedia Commonsより)
渋沢栄一記念館(Abasaaさん撮影、Wikimedia Commonsより)

現在、旧日本煉瓦製造の工場の施設「ホフマン輪窯」「旧事務所」「旧変電所」などは、重要文化財として、保存・整備されている。

深谷市内には、渋沢栄一記念館や旧渋沢邸「中の家(なかんち)」、旧煉瓦製造施設など、ゆかりの施設がある。新1万円札の顔となる「えいちゃん」とはどんな人だったのか、生誕の地でじっくり見学してみるのはどうだろう。

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