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JR導入から30年、「駅メロ」が変えた鉄道風景 元祖メロディーの誕生秘話に迫った

大宮 高史

大宮 高史

2019.03.11 06:00
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JR初は仙台、そして新宿へ

1987年4月1日、国鉄分割民営化によって発足したJR東日本は、様々な面で国鉄からのイメージアップを図った。その一つが、駅の「音」。けたたましいベルの音を改め、乗客に安らぎを与えられないか――ということで、列車発車時に音楽を流すことが検討され始めた。

まず88年11月22日から仙台駅仙石線ホームでJR初の発車メロディー導入に踏み切った。楽曲は仙台にちなみ「青葉城恋唄」をオーケストラアレンジしたもの。

当時の新聞記事(河北新報、88年11月22日夕刊)をひも解くと、仙石線全通60周年の日付に合わせての導入はお祝いムードに満ちたものだった模様である。ご当地メロディー的な発想もこの頃からあった訳だ。

翌89年3月11日に新宿駅・渋谷駅で発車メロディーが使われ始め、首都圏の駅で本格的に音楽が流れ始めた。以後首都圏の駅という駅に普及し、さらにJR東日本の他のエリアにも普及していくのだが、その後の発展ぶりに比べるとひっそりとした始まりだったようである。

というのも当時の各紙報道を調べると3月前後にJRがPRしていたのは常磐線への新型特急の導入や首都圏各路線の増発で、セレモニーもなく静かに導入されたものだった。

この時採用された曲は01年頃まで使われており、実際にホームで流れていた頃を覚えている方も多いかもしれない。JR東日本のみならず日本の鉄道でも類を見ない試みだっただけに、このプロジェクトに取り組んだヤマハでもかなりの試行錯誤があったという。 

駅を使うすべての人に受け入れられる音を目指した
駅を使うすべての人に受け入れられる音を目指した

ヤマハでこの発車メロディーに取り組んだプロデューサー・井出祐昭さんがこれまでにメディアに語った内容によると、数十万人が行き来し、朝から晩まで喧騒に満ちた駅では、雑音に負けないよく通る、それでいてボリュームの小さな音をつくる必要がある。また乗客に不快感を与えないまま駆け込みを防止することも大きな命題だった。

さらに同時に多数の方面に向かう列車が発着するために、明確に区別できる音にしなければならない。しかしいくつかの曲が同時に鳴った場合に不協和音になってはいけない。この4つの大きな矛盾をすべて解決しなければならないという課題に直面した。

これを満たすサウンドを発明するというのは難を極め、古今の数多の楽器や自然界の音を検討したそうだ。

音を駅構内で流す実験を繰り返し試みた結果、最も印象がよかったのが「鐘」の音で、これをベースに新宿駅1番線から12番線までの曲を作っていった。

その一部、当時9番線と10番線(中央総武線・山手線)で使われていたメロディーを、現在井出さんが在籍する井出音研究所の好意により公開させていただくことができた。先に聴こえてくるのが山手線、後で電車の音と共に流れてくる鐘のような音が中央総武線のメロディーである。

近年駅で流れている曲と比べると、かなりコンセプトが異なるように感じられないだろうか。鐘・ピアノ・ハーブとやわらかなサウンドを出せる楽器をベースに、自己主張が過ぎないメロディーに仕上がっている。山手線と埼京線はピアノ、中央線はハーブというようにサウンドを構成するメインの楽器を決めることで、他のホームの音と混ざらない差別化も達成した。

時代はバブル絶頂期でもあり、「24時間戦えますか」の時代。あくなき富の追求とともに、精神的な安らぎを求めるニーズもあったと考えると、ゆったりしたリズムが理解できてくる。駅の音風景を変える試み一つにもここまで丹精込める時代の余裕もバブル期らしい。

このヤマハによるメロディー以後、複数のメーカーにより数多くの楽曲が制作されていった。上下線で楽曲を変える、線ごとにある程度楽曲を統一するといった工夫も、新宿駅・渋谷駅以後各社で採用され、多様な楽曲がJR東日本エリアに広がっていく。一つの楽曲を複数の駅で使うことも当たり前に行われているが、このヤマハのメロディーは以後も新宿駅と渋谷駅でのみ使われ、他に波及することはなかった。

その意味でも特別なパイオニア的存在ともいえるだろう。後年の楽曲のほとんどが打ち込み系でテンポも速めのサウンドで構成されているのに比べると、最初の2駅の音色が際立っている。

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