オコゼを懐からチラリと見せて、「ワッハッハ」と笑う 三重県尾鷲市の奇祭「山の神」
限られた氏子だけが参加できる
公式サイト上の説明によると、祭りの由来は山の神と海の神の喧嘩が発端のようだ。山の神と海の神が矢浜で出会い、なぜか山の幸(山の動物)と海の幸(海の魚)の数を競うことになったという。
両者が同数の山の幸と海の幸を出し、引き分けになるかと思われたときになぜかオコゼが出てきてしまい、山の神の負けに。負けた山の神をなぐさめるため、矢浜の人々がオコゼを持って山に入り、「こんな醜い生き物は魚ではありません」という意味で笑い飛ばすようになったとのこと。
その行為が合理的かどうかはともかく、祭りの由来となった伝承の筋は通っている。とはいえ、山の神とは誰なのかなど謎も多い。Jタウンネットは尾鷲市に取材をしたところ、同市水産商工食のまち課の担当者は次のように答えてくれた。
「祭りの内容はサイトでの説明通り、10数名の氏子の方々が山へと入り、懐からオコゼをチラッと見せながら笑い、林業の安全と豊作を祈るというものです。その説明だけではちょっとわかりにくいかもしれませんが(笑)」
伝承の内容はともかく、わざわざ高級魚として知られるオコゼを使うということは、尾鷲市の特産物なのかとも考えたが、担当者によると「特に特産物でもなく、獲れるわけでもない」とのことだった。
ちなみに、オコゼと山の神を結び付けることは昔からあったようで、山口県には「山の神は顔が醜かったオコゼのほうが醜いので安心した」という内容の伝承や、博物学者の南方熊楠(みなかた・くまぐす)が山の神とオコゼの関係に言及した手記を残している。何か両者には深い関係があるのだろう。
尾鷲市の「山の神」が確認されるのは、紀州藩10代目藩主徳川治宝(はるとみ)のころの記録からだという。正確な年数は不明なようだが1771~1853年に生きた人物なので、およそ200年前には少なくとも存在していた祭りだと考えられる。
三重県内や周辺の自治体はもとより、尾鷲市内だけでもこの矢浜地区だけでしか行われていないというから、ますます謎の多い祭りだ。
「参加するのは矢浜地区に住む特定の3つの苗字を持つ家の方々だけです。観光客が見学をすることは認められておらず、また山の神が『木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)』という女神であるとされ、女性は嫉妬されるとされ参加できません」
桂山という山の中に「大山祗命 (オオヤマツミノミコト)」という神様を祀ったお堂があり、そこで祭りが行われるそうだが、普段は立ち入り禁止などではなく普通に訪れることができるようだ。
それにしてもオコゼ、喧嘩の合間にひょっこり出てくるなんて、あまりにも空気が読めない奴過ぎないだろうか。