新潟・村上市は、どうして「町屋再生」に成功できたのか?
町屋の中にこそ、本物があった!

村上市は、新潟県の最北部に位置する。かつては村上藩の城下町として栄えた。北限の茶どころとして知られ、三面川の鮭のほか、村上牛が特産品だ。
電話で答えてくれたのは、「むらかみ町屋再生プロジェクト」会長の吉川真嗣さんだ。村上伝統の鮭料理・鮭珍味を販売する老舗「きっかわ」の15代目である。
「村上は小さな城下町で、古い町並みが残る、あまり活気のないところでした。20年近く前のことになりますが、行政が商店街の近代化を打ち出したのです。そこで反対のために署名運動を始めたのが、そもそものきっかけでした」と吉川さんは話してくれた。「古い町並みを生かして活性化できないか、そう考えたのです」。
当時の商店はというと、町屋の外側にアーケードやシャッター、サッシなどを取り付けた、けっして魅力的とは言えない外観だった。「でも一歩中に入ると、吹き抜けがあり、大きな梁、大黒柱、神棚、仏壇、囲炉裏なども見え、古い町屋の生活空間が残っていて、まるでタイムスリップしたような感覚が味わえた。建物の中にこそ、本物があったのです」。

「そこで、まず町屋の生活空間を公開しようと考えました」と吉川さん。2000年に「町屋の人形さま巡り」、2001年には「町屋の屏風まつり」を企画し、町屋の内部を公開し、その暮らしを観光客に見てもらうことにした。すると、先祖代々伝わる雛人形や屏風を座敷に展示するイベントに、3万人を超える旅人が訪れたのだ。イベント開催中、現役を退いたお年寄りが元気に説明役を務めたことも、予想外の収穫だったという。
「人形さま巡りや屏風まつりといったイベントの時期だけでなく、通年、お客様に来ていただきたい。そのためには、町屋の外観を改修した方がいい、ということで、2004年、町屋再生プロジェクトが立ち上がりました」。1口3000円の年会費で、会員制による組織づくりに取り組んだ。
「全国各地にいる村上市出身者、村上を訪れた観光客に声をかけて、会員募集を開始しました。続々と集まった年会費を基金として、町屋の改修をスタートしたのです。第1号は、和菓子店の『早撰堂』でした」。

「早撰堂」の建物は明治時代のものだったが、通りに面した外側のアーケード、シャッターやサッシを外し、昔ながらの格子に取り換えた。屋根も瓦屋根にして、木製の看板を掲げ、すっかり大正時代風の外観に生まれ変わった。昔作っていた鮭の切り身を模した落雁も復活させ、販売するようになったという。

その後、町屋再生プロジェクトの基金を活用して、草木染めなどの技法を現代に生かす「山上染物店」、漆工芸・堆朱や民芸品を扱う「池田屋」、村上牛の専門料理店「江戸庄」など、次々と町屋の外観改修を行っていった。現在までになんと30近い改修事業を手がけている。