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83歳筆者が考える「今年の流行語」...むしろ気になる「一部の者たちの反応」

ぶらいおん

ぶらいおん

2016.12.20 11:00
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インターネットやSNSで発言をする前に...

   第33回、2016年の「流行語大賞」は、広島東洋カープの緒方孝市監督と鈴木誠也外野手の『神ってる』が受賞した。

   率直に言って、決定前の候補時から、筆者はこの『神ってる』という言葉を聞いて、「実に嫌なコトバだな」という印象を有していた。正体不明の、この言葉を関連する事象から推測すると、多分、「神懸かってる」という意味であろう、とは考えていた。

   それでも、幾ら体育会系の人物の用語とは言え、大の大人の使う言葉ではあるまい、と考えて来たが、http://singo.jiyu.co.jp/detail.html#prize02 を参照すると、緒方孝市監督は、敢えて、いまどきのガキ(中高校生)の言葉を使ったそうで、その若者の流行語が、野球を通じて、閉鎖がちのネット界から現実社会へ広がったことが評価された、ということらしい。

   その他のトップ10流行語について、筆者の感覚では、『保育園落ちた日本死ね』、『トランプ現象』、『盛り土』、『PPAP』、それと『ポケモンGO』くらいは納得出来るが、正直、それ以外は「どうでもよい」か、「も一つピンと来ない」と言ったところであった。

   それより、これらの【流行語】の中の特定の【流行語】に対するSNS上での、一部の者たちのピント外れな反応の方が大いに気になったので、それについて述べよう。

   その前に、筆者の、これら【流行語】に関する日本語用法について、意見を表明しておこう。取り上げられている大部分の【流行語】は、名詞そのものなので、用法云々の問題は特に生じない。

   従って、この問題の対象となるのは、『神ってる』と『保育園落ちた日本死ね』、それに強いて付け加えるなら、日・英語チャンポンの『ポケモンGO』ということになるが、第3番目のセンテンスの用法に難があるとすれば、命令形の叙述に異言語が混在していることくらいだろう。しかし、『GO』自体も『ゴー』と表記すれば、外来語として既に日本語として定着しているわけだから、別に問題は無い。

   そうとなれば、一番抵抗感を感ずる用法は『神ってる』ということになり、『保育園落ちた日本死ね』は、単なる平叙文と命令文を羅列した用法であるが、逆に言えば、名詞形以外の今年のトップ10【流行語】の中では、最もまともな日本語用法とさえ言える。

   ところが、この『保育園落ちた日本死ね』がトップ10に選ばれたことについて、審査委員を務めた歌人の俵万智さん(53)に対し、「俵万智さんが選んだとは思いたくない」などとネット上で批判の書き込みが相次いでいる、という。

   この書き込みなど、筆者から言わせれば、「一体、何を言っているのか?」全くの見当外れだ、という以外に言い様は無い。

   そもそも6人の審査委員うちの1人の意見だけで、事柄が決定するわけは無いし、その時点で、俵万智さんが、【流行語】として選出することに賛成だったか、反対だったか、それも分かりもしないのに、早とちりの思い込みで、部分的な事柄だけ取り上げて批判するなど、まともな判断力を持った、一人前の大人のすることでは無い、と考えられる。

   更に、<特に俵さんが歌人であることから「日本の心や日本の言葉を大切にしているであろう俵万智さんが(審査委員に)入っていたのはショックだった」、

   「日本語に対して最も研ぎ澄まされた感性を持っていなければならない職業のお方がこの様ですか」、

   「俵万智さんのような歌人がこんな直接的な死ねって言葉を評価するとはね」と失望感をあらわにする意見が寄せられた。

   また、「俵万智さんが選んだとは思いたくないですよね。彼女は神奈川県の高校で子供相手に教師をしていた人ですからね」といった意見も。> 等々あって、結果的に炎上という事態になったらしいが、これらの評価は全てピント外れである、と考えざるを得ない。

   確かに、「死ね」という命令形の表現が、心地よいとは言えないだろうし、筆者も、見境無く発してよい言葉とは思わない。その上、多分、「日本」という目的語に対して、そのキツイ命令形の言葉が発せられていることが問題とされているのであろう。

   しかし、この場合の「日本」は、決して"日本国"や"日本人"そのものを指しているわけでは無いことは、一応の読解能力を有している人なら当然読み取れる筈である。

   このやゝ強烈な命令文は、飽くまでも、<「何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。」>という、待機児童問題に対する、日本政府や行政の、掛け声ばかりの取り組みや、現実の怠慢に対して発せられた、強烈なアピールであって、それが結果として政治家を動かし、大きな社会問題として取り上げられるきっかけとなった、むしろ大きなパンチ力を有する有効打として、充分【流行語】としての価値を有している。

   俵万智さんも、twitter上で、<「死ね」が、いい言葉だなんて私も思わない。でも、その毒が、ハチの一刺しのように効いて、待機児童問題の深刻さを投げかけた。世の中を動かした。そこには言葉の力がありました。お母さんが、こんな言葉を遣わなくていい社会になってほしいし、...(以下略)>と、ツイートしている。

   この意見には、筆者も全く同感で、寧ろ爽やかな感じすら覚える。

   この彼女の姿勢の何処が、批判の対象とされなければならないのか?理解に苦しむ。

   掲載されている、これらの批判のどれをとっても、提示された資料を充分に読取り、論理的に捉え、冷静に判断している、とは思えない。単に、言葉尻や、表現の一部だけを故意に抜き出すか?あるいは一部だけしか理解出来ていないのに、それを自分勝手に曲解して、単細胞的な批判に走っているとしか考えられない。

   私見であるが、そういった失敗を犯さないためには、普段から纏まった文章を確りと読み通し、的確に読取る訓練をすることだ。自ら、人目に触れるに耐える文章を書こうとするなら、先ず、一般に評価されている人の書いた、まともな文章を充分に読む修練を積んで欲しい。

   名作と言われている文学でも、あるいは論文でもよい。それらを最後まで、読み通して、その内容を確り把握し、自らの頭の中で理路整然と再構築し、それに対する自分の考え方や意見を充分に反芻してみることだ。そういう訓練を或る程度経てからでないと、人目に触れる場所に、たとえ自分の思いを漠然と書き記したとしても、人に読んで貰える文章など書ける筈が無い、と筆者は考える。

   単なる一時の思いつきや、その時の感情で安易に発言するのは、全く無責任である、と言わざるを得ない。繰り返しになるが、そんな態度は「一人前の大人」のすることでは無い。

   一昔前なら、人目に触れるような場所に、誰でもが安易に発言できるような環境は無かった。今は誰でも、気軽に発信できる機器とそれを伝達し、拡散させる環境が整備されている。

   だから、と言って無闇矢鱈に無責任な暴言や妄言を撒き散らしてよい、と言うことにはならない。ましてや、己の憂さ晴らしのために利用するなどと言うのは、言語道断であって、本来許されるべきでは無いし、分別を弁えた大人のすることでは無い。

   たとえ、伝達媒体が、これまでのように書籍や新聞などの刊行物ばかりで無く、よりハードルの低いインターネットのような媒体を介して、手軽に誰でもが利用出来るようになったからと言って、匿名で無責任な発言を繰り返すようでは、本当に伝えたいことを多くの人達に浸透させ、世の中を少しでも暮らしやすい方向へ向かわせるようなことなど、最初から無理というものであろう。尤も、責任を持って考え抜かれた上での発言であれば、上に述べたような、舌足らずで、ピント外れなものとなる筈もあるまいが...。

   この点、筆者が過去に公開したコラムでも、いわゆる「不謹慎狩り」について触れたが、ピントの外れた、当初から反論する価値すら無く、その議論すべき土俵とは異なる場所での発言は、単に無視すれば、こと足りるわけであるが、現実には「炎上」という理不尽な結果を招来して、本来、無関係あるいは善意のコメンテーターにあらぬ迷惑を掛けたり、時に彼らを追い詰めたりする事態となる。

   こうなると、ピントが外れた上、浅はかで無責任な発言は単なる、醜く、迷惑な、嫌がらせ以外の何ものでも無く、そこには何らの建設的な展開も期待できなくなる。

   折角、こうして誰でもが容易に発言できるような環境が整ったわけだから、それが社会の向上に役立つように利用したいものだ。それには、発信する者の意識を向上させる必要がある。

   社会に対して発言する以上、最低限、正しい意味での「議論」が成り立つような条件を整えた上で発言して欲しいものだ。単なる憂さ晴らしなどもっての外、もう少し、自分にも、自分の発言にも責任を持って貰いたいものだ。その自覚があってこそ、初めて発言を許される資格がある、と考えねばならない。逆に言えば、それが出来ないなら、安易な発言は厳に慎まねばならない。

   あなたがSNSを介して発言し、世の中を少しでも良くしようと考えるなら、ここまで述べて来たような最低限の条件は敢えて筆者が言うまでも無く、充分に理解しているはずだし、当然備えているに違いない。

   万万一、筆者の言っていることが、よく分からないとすれば、あなたにはSNS上の発言は自粛して貰いたい。それは先ず、発信しても無駄というものだし、また社会に対し、なにがしかの迷惑を及ぼすことになるのは間違いないからだ。

   確かに、表現にキツさはあるが、保育園に子供を預けて働こう、とした若いお母さんが、この投稿をきっかけとして、もし、その問題が解決に向かったのなら、これは誰でもが発言できるSNSの存在意義が大いに有ったことになるし、延いては日本社会のためになったわけだし、万一、直ちに解決しなかったにせよ、同じような悩みで呻吟しているお母さん達を勇気づけたり、実際に日本政府や行政の取り組みに刺激を与え、問題解決の方向に進む結果となったのなら、それはそれで、それなりの成果が有ったことになる。

   現代に生きる我々が手に入れた、こうしたインターネットやSNSの仕組みは、世の中の流れを改善、改良するために是非、機能させたいものだ。

   個人的な憂さ晴らしのために、あるいは自分が正義の味方になったような、愚かな思い込みで、醜い炎上を惹き起こしては、ほくそ笑むような愉快犯的な人達には、直ちに、こうした場から、お引き取り願うことにしよう。

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筆者:ぶらいおん(詩人、フリーライター)

東京で生まれ育ち、青壮年を通じて暮らし、前期高齢者になってから、父方ルーツ、万葉集ゆかりの当地へ居を移し、地域社会で細(ささ)やかに活動しながら、105歳(2016年)で天寿を全うした母の老々介護を続けた。今は自身も、日々西方浄土を臨みつつ暮らす後期高齢者。https://twitter.com/buraijoh
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