「シン・ゴジラ」の感想を、枝野幸男さんに聞きに行ってみました【後編】
「決断」のために政治家はいる
――それぞれが、それぞれの持ち味を生かして動くしかない、ということですね。ところで映画では、官僚たちがどれだけ動いても、最終的な決断は政治家がしなくてはいけない、という描写が繰り返しありました。変な聞き方ですが、現実にもそうなのでしょうか。

枝野 それはそうだと思います。さきほどの射撃中止のシーンの話ではありませんが、国民の命にかかわるような話で、官僚に判断の責任を負わせる、というのは政治として無責任だと思います。危機管理というのはまさにそういう局面なわけで、そのために、政治家がいるようなものなんですから。
マニュアル通りで対応できることは危機ではないんですよ。想定していないことが起こったときが「危機」なんです。危機管理というのは、「想定外のことが起こったときにどうするか」。
すべてに備えることは不可能です。だからこそ、「想定外のことは起こるのだ」という気構えが必要です。
――ゴジラが出現するようなことがあっても大丈夫なように......。
枝野 ゴジラはさすがに来ないでしょうが......そうしたときでも「慌てない」ことです。
あとはあえて言えば、いかに柔軟に動けるか。たとえば、3.11当時、原子力安全・保安院(現在の原子力規制委員会)の院長(寺坂信昭氏)は文系だったので、技術のことが全然わからない。こちらもフラストレーションが貯まりましたが、2、3日経ったころか、その部下にものすごく技術の知識があり、説明する能力も高い、という人がいることがわかったんです。後は、その人から直接話を聞くようにしました。
このように、危機の時には各役所が、平時の肩書きや序列にとらわれず、一番わかってる人間、一番できる人間を前面に出せるようにする。それしかないんじゃないでしょうか。